藤原龍一郎

『現代川柳の精鋭たち』-28人集を読む-
【私の好きななかはられいこ作品          
         タイトルは「アポストロフィ」】

くちづけに刃物の味がまじりたる
他人じゃないよ夢で何度も殺したよ
戻っておいでブランコはまだ揺れている
押し入れで何か倒れる音がする
オーブン点火 ウラギルコトノタヤスサヨ
舌という哀しきものを飼っている
まっすぐに伸びたレールでとてもこわい
芙容覗けば 人の声する
持ちあぐむ卵一個の静謐を
げんじつはキウイの種に負けている
にくしんが通る網戸のむこうがわ
かあさんが何度も生き返る沼地
みるみるとお家がゆるむ合歓の花
ウォシュレットぷらいどなんてもういいの
母さまのお口に詰める泡立草
回線はつながりました 夜空です
曲がりたい泣きたい中央分離帯
奥の間ではさみを使う音 雨ね
またがると白い木槿になっちまう
開脚の踵にあたるお母さま
朝焼けのすかいらーくで気体になるの
よろしくね これが廃船これが楡

 「開放区」で、最近に近い作品を対象にして、ナンセンスがなかはられいこの持ち味だと書いたことがあるが、初期作品の「散華詩集」の頃は、情念があらわに出ている作が多いことを知った。「刃物の味」「何度も殺した」「ウラギルコトノタヤスサヨ」とどれも、男と女の関係性においての燃える情念が、鋭角的な表現となってきらめいている。ただ、べたべたしていないのが作者の特質で、食傷しないで読める。
 舌を飼う哀しさもレールのこわさも、この感性の対偶表現なのだろうと思う。
 「卵一個の静謐」以降が「散華詩集」以後の作品になるが、川柳という表現方法に対する意識が一皮剥けた感を読者として受ける。
 この中では「みるみるとお家がゆるむ」の句がだんぜん私の好みだが「かあさんが何度も生き返る沼地」などもホラーというより、繰り返しのナンセンスなギャグに思える。「ウォシュレット」も「ぷらいど」なる仮名のつかいわけで通俗をぎりぎりに見切っている。言葉に対する運動神経の良さだろう。
 「またがると」のはすっぱな口語表現も「開脚の踵にあたるお母さま」の唐突さも、この運動神経がよびこんだ表現の勝利といえるだろう。
 ナンセンスということの魅力が後半の作品にはきらめいている。
 「よろしくね これが廃船これが楡」は言葉から日常的な意味が消滅し詩が結晶している。この方向の変化が今後の期待をふくらませる。
by nakahara-r | 2010-03-21 18:07


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