向日葵に胸があってはなりませぬ

タイトルは、ねじまき6月句会の題詠「胸」提出句。

6月も終わりますね。
もう一年の半分が過ぎたかと思うと、意味もなく焦ります。

さっきテーブルの足につま先をおもいっきりぶつけて、痛みがあたまのてっぺんまで届いたのでした。
泣きたくなったので、思い切って泣きました。
こういうとき、一人暮らしだと気が楽です。
だれにも気を使わないで泣ける。
だけど、まりんさんが心配そうにみつめるので、しかたなく泣きやみました。
ああ、すっきりした。
精神的な要因では泣かないのに、肉体的な要因で泣く、というのはどうなのか、自分。
とつっこみをいれたところ。


「びわこ」6月号から

母さんが両手でしぼる菜種梅雨  谷口 文
奥の間で母がくしゃりと潰す箱  北村幸子

チェックした順に引いたら、たまたま母の句が揃ってしまいました。
娘の視線がとらえる母、というのは特別で複雑です。
菜種油ではなくて、菜種梅雨をしぼるような得体の知れなさ。
<両手で>とありますが、だいたい雑巾でもなんでも絞るときって両手ですよね。
なのにわざわざ<両手で>と書かれることによって、読み手にとって、なにかをしぼる自分の手の動きを追体験しやすくなるという仕掛けがあるのではないでしょうか。
次の<奥の間>の句。
奥の間という隠蔽された場所で、なにが入っているのかわからない箱を潰すような怖さがあります。
<くしゃり>という擬音が怖さを助長してて、もう、ほとんどホラーです。
その怖さというのが自分の投影であることを、娘である彼女らはよく知っているのです。

アナウンスされた番号から散るよ  久保田 紺
病院とか、銀行とかでしょうか。
「24番の番号札をお持ちの方は3番窓口へどうぞ」とかいうアレですかね。
だから、この<散る>は「番号札を持ったひと」であるはずで、人があちこちに<散る>のになんの問題もありません。
ところが<番号から>という省略のために2とか、4とか、5とか、数字が花びらのように散る光景が連想されます。なんだかとってもデジタルですね(意味不明)

私の声がちゃんと出てるか桜島  街中 悠
わたしの中でわたしが溺れてる  藤本 花枝

またまた、偶然にも<私>と<わたし>が並んでしまいました。
以前、俳句の友人に「川柳はわたしわたし言いすぎる」みたいなこと言われて、深く同意したことがありました。
でもね、弁解すると、ことほどさように、川柳書きは自分自身を信用していないんですよ。
自分という存在が自明ではないところからしか発語できないのが、川柳書きのサガではないかと思うのです。

軒下に仕立て屋の札すみれ咲く  増田雲水
いいですねー。
「軒下」といい「仕立て屋」といい(しかも札!「着物仕立て〼 とかいうヤツですかね)ちょっとレトロなにおいがします。景だけで成り立っているところなんか俳句っぽい仕立てなんですが、こうゆうのも好きです。
風が吹いてて、札が揺れてるとなぜか確信しました。

ふりかなは背中に付けておきますね  月波 与生
ああ、それはご親切にどうも。と言いたくなりました。
だけど、なんの背中なのか、謎。
そもそも<ふりかな>をふられるべき漢字(あるいは外国語の固有名詞)はどこにあるのか?
たとえば、ものすごく理不尽なことを言われたとき、その相手の背中に理不尽さのみなもとを感じたりすることもあるよなーと、ふと思ったのでした。

裏側が磁石になっている四月  峯裕見子
いや、おもしろいです。
で、冷蔵庫とかにぴたっとはっつけておくんですよね。
ピカピカの新入生や新社会人たちであふれる四月ですから、落っこちたり風で飛ばないようにぴたっと。
ちなみに12月だと裏起毛とかになってるんですかね。

この朝はカーテンとしてどうなんだ  徳永政二
いや、どうなんだって言われても……。
と、カーテンくんが困惑してる図が浮かんできて笑えます。
たぶん作者の思惑とは違う朝だったりしたんでしょうけど、<この朝>って言われるほど他人からみれば特殊でもなくて、それはカーテンとはなんの関係もあろうはずはなく。
まあ、そんなことは百も承知で八つ当たりされてるんではないでしょうか。
穏健な作風の徳永さんには珍しい句だったので、なんかうれしくてニヤニヤしてしまいました。

三角がかたんことんと来てくれる  小梶 忠雄
三角形が動くとすれば、まさに<かたんことん>と音たてるでしょうね。
めっちゃかわいいんですけど、この三角。
しかも<来てくれる>んですよ。
「さよなら三角、またきて四角」という歌かな、囃子言葉かな、そんなのありましたよね。
トライアングル、冬の大三角形、三角関数、三角関係、壮大なものから卑近なものまで、三角ってすごいなあと思います。この句をみなければ三角について考えることなどなかったはずで、まさにそういうところが川柳を読む楽しさなんじゃないかと思います。
# by nakahara-r | 2015-06-28 23:40 | 川柳

魔法の数と揺れる記号たち

川柳スープレックスで「鹿首」の作品をとりあげていただきました。
飯島章友さん、ありがとうございました。

肌寒い日が続く、ちょっとへんな梅雨です。
気圧が不安定なせいか、偏頭痛に襲われたりしますが基本的には元気です。

そんななか、俳句ハガキが届きました。
タイトルのグラデーションがうつくしい。
西原さんが赤系で金魚、笠井さんが青系で目高、というところも洒落てます。

その男さみし首から上が蠅 西原天気
六月や切手を舐めて雲を見て
首から上が蠅! 不気味とか怖いとかじゃなく「さみし」というところ、好きです。
むかし「ザ・フライ」という映画がありました。主人公はさみしいひとでしたね、たしかに。
 

夜の新樹すべてのドアの開くたび 笠井亞子
つつがなく夕暮れが来て冷蔵庫
樹の香りが匂い立つ一句です。若葉や樹液のにおいと、もう寒くはないけれど、すこし冷えた夜の空気が感じられます。萩尾望都や長野まゆみのえがく少年たちの夜、を連想しました。

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ご紹介が遅れましたが、俳人の花森こまさんの個人誌「逸」には、楢崎進弘さんの川柳がなんと300句も掲載されていて、とても読みごたえがあります。
隠れ楢崎ファンのなかはらとしてはうれしい限りです。
さっそく今日のカルチャー教室で資料として使わせていただきました。
前半部より10句ほど抜いてみますね。

苦しくていとこんにゃくを身にまとう
何はともあれ時代はいつも冷や奴
あとがきの長さも魚肉ソーセージ
缶詰のパイナップルの面汚し
いちにちの終わりのほうで鰯かな
肉体としての駅舎を通過する
かろうじて犬のかたちの犬眠る
すべり台を滑る三泊四日ほど
かつて岩崎宏美の前髪のせつなさ
もう少し寒くなったら笠智衆

好きな句を抜き出すときりがないのでこのへんにしておきますが、
このほかにも魅力的な句でいっぱい。

そして、うれしいことその2
倉本朝世さんの10句が掲載されています。

砂こぼすように忘れる出生地
この世から剥がれた膝が美しい
生まれてきた日「えいえん」にさわった日

「逸」は定価1000円
興味のある方はこちらまでメールいただければ対応いたします。
nezimaki@coffee.ocn.ne.jp


「おかじょうき」6月号

病院の待合室はすこし黒 横澤あや子
いもうとは原っぱだけを置いていく 横澤あや子
ずっと気になっている書き手のひとり、横澤さん。
「病院」と「黒」、「いもうと」と「原っぱ」の取り合わせは常套とまではいかなくても、いたってふつーなのに、ふつーではない作品に仕上がっているのは、「すこし」と「だけ」という、<限定>ゆえなんじゃないかと思います。「すこし」という限定によって暗そうにみえて、ぼんやりと明るいかんじを与えたり、「だけ」という限定によって、あっけらかんとしてるようにみえて、ちょっと持ち重りがするかんじを与えたりするんじゃないかと。

八時から十二時までの声でした ひとり静
六月を放ると父が落ちてくる 守田啓子
一対一より十対十のほう偉い 田久保亜蘭
数字の句を並べてみました。
かつて俳句の世界では正岡子規の<鶏頭の十四五本もありぬべし>について、「七八本でもいいではないか」と論争が起きたと聞いています。個人的には「十四五本派」なんですが、だって、七八本は穏健にすぎる。十四五本の異常さは「ありぬべし」というへんてこな語法に妙にマッチしているように思えますから。ひょいと掴んだ数であれ、考えて決めた数であれ、一句のなかでどのように作用してるか、ですよね。上にあげた作品たちの数は動かない、と思います。おもしろいですね、数って。

プール大プリンの揺れのト音記号 柳本々々
疑問符がふやけて夜が降りて来る むさし
続いて記号です。どちらも不思議な記号たち。
まず柳本さんの句、「プール大プリンの揺れ」までが「ト音記号」に掛かってます。おおきく揺れたんですね、ト音記号が。あの縦棒の下部が左側にカーブしたその先っちょにある、マッチのあたまみたいなとこが揺れて、揺れは次第にプール大プリンくらい大きくなって、くるくるした渦巻に伝わって、全体が揺れるんですね。プリンの揺れ方って独特でしょう。たっぷんたっぷん揺れるト音記号。ホーミーとか、そんなかんじの音楽かなーと思いました。
むさしさんの疑問符ですが、あれは点のとこをひっぱるんですよ、きっと。
ふやけてるから、点も膨張してるわけで、蛍光灯の紐みたくなってるんじゃないでしょうか。
ね、夜、降りて来るでしょう。
しかし、記号ですら揺れたりふやけたりする。川柳って動詞ですね。



# by nakahara-r | 2015-06-17 22:33 | 川柳

南から水平線が攻めてくる

タイトルは本日のカルチャー講座の題「南」の提出句。


自分的にはちょっとだけぼーっとしたたつもりなんですが、すっかり6月になっていました。

カルチャーの講座のための資料を作らなきゃと、古い冊子をあれこれ整理してるうちに、自分で書いてたのに書いたことすら忘れていた作品評の掲載誌がつぎつぎ出てきて、うっかり読んでしまいました。
ま、まずい。
10年も前の文章なのにまったく成長していないではないか。
と、思いましたことです、はい。

川柳を読んでて、いいなあと思ったり、好きだなあと思ったりすることは、ふつーにだれにでもあります。
一歩すすんで、どこに惹かれるんだろう、なぜ惹かれるんだろうと自分に問いかけてみると、もうそれはりっぱに鑑賞ですよね。
好きな作品について、大通りで声にだして言えることって、けっこう気持ちいいしうれしいです。
むかし、初心のころ大先輩に、いい川柳書こうと思ったら文章は書くな、みたいなことを言われて、ひどくびっくりしたことがありました。
こむづかしいこと書いてると、あたまでっかちになっていい川柳は書けなくなる、というのが大先輩の持論でした。
どっちみち、わたしにこむづかしいことなんか書けっこないんですが。
評が書けなくてどんづまり状態だったとき、某O氏から「理屈じゃぼくに勝てないよ。なかはらさんのいいとこはテキトーだけどやさいしいとこ」って言ってもらったことがありました。
いや、勝とうなんて一ミリも思ってませんが、ね。
たぶん、某O氏は(こいつはちょこっとあたまなでときゃ、ある程度登る)と踏んでたんではないですかね。
策士ですから。

で。思ったんですよ。
川柳スープレックスの柳本々々さんの記事(もちろん「あとがき全集。」も含めて)を読ませていただいてると、ものすごく勇気りんりんになります。
同時に、やわらかくてあったかいものに包まれたかんじにもなります。
おもわず、笑みがこぼれます。
それは、けしてわたしみたいにテキトーではなく、一句が丁寧に丁寧に取り扱われているからだと思います。
あの場にはしあわせな光景があります。

いや、きょうはものすごく日記風ですが(そうか?)
っていうか、あした読んだらはずかしいかも。


いちにち、虫になってきました。
苔はやわらかくてしっとりつめたくて、はだしで踏むときもちいい。

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まりんさん、さいきん、すぐに負けたふりします。
プライドはどこにわすれてきたのでしょう。
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あご。
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# by nakahara-r | 2015-06-04 22:23 | ただの日記

液体と気体にわかれ床に就く

タイトルはねじまき4月句会の雑詠から。
句会では二人説、一人説にわかれて盛りあがりました。

そして、きょうは朝日カルチャーの川柳講座、4回目。
題は「中」。
糠床のミスユニバースやら、植木等やら、最中の皮やらで盛りあがりました。

というわけで、はつなつですね。
町は緑、空は青。
グリーンDA・KA・RAをぐびぐび飲みつつ、じんせい生きてるだけで丸儲けってつぶやいたりして。
そうこうしてさぼってるうちにいろんなものが溜まります。
洗濯物も分別前のゴミもいただき物の野菜も読めていない本も。

浮かれてばかりはいられない。

で、「おかじょうき」5月号です。

固いゴミやわらかいゴミ長いゴミ  前輝
なるほどね、そうきましたか。
ゴミ以外にもいろんなモノが当てはまりそうなんですが、
あえてゴミとしたところが川柳的でいいなと思いました。
たとえば「骨」とかだったらそれはそれできれいに決まるんですけど、
作者の思い入れが強く出すぎて読み手を阻むような気がします。
なんの思い入れもないところにふっと引き込まれる作品です。

ですますがわたしをせめるゆれそうだ  柳本々々
私事で恐縮ですが、本気で怒ると丁寧語になるんですよ、わたし。
言い合いになって「ですよね!」とか「言ってました!」とか言い始めると、夫は早々に降参してました。
当時を思い出しながら反省した次第。
丁寧語は使い方によっては強力な武器になるんですよね。
この句、すべてひらがな表記なところに酩酊しているような感覚が出てて「ゆれそうだ」が実感として伝わってきます。
ふんばってください。

弟の左わたしの右に川  守田啓子
姉にとっての弟、弟にとっての姉、異性であるがゆえ、大人になるとおのずとすこし遠くなります。
川の両岸くらいには。たぶんこの川は一級河川のような大きなものではなくて、
しかし飛び越せるほど小さくもなくて、幅4,5メートルほどの、対岸の相手の顔が見える程度の川であるような気がします。
橋を渡らないとそばに行けないけれど、声は聞こえるし、表情もわかるくらいの。
大人になった姉弟の、そんな関わり方っていいですね。

サユリストである星形五角形  奈良一艘
なんじゃ、そりゃ。と思いながら、楽しんでしまったので、わたしの負けです、はい。
「星形五角形」で想像するものは函館の五稜郭なんですけど。
ペンタゴン(アメリカ国防省)は五角形だけど星形とは見えないので。
あ、もういっこ。サユリスト(死語ジャマイカ?)から百合の花のかたち。
こういう作品って解釈じゃなくて語の繋がりのおもしろさを楽しめばいいのかとも思います。

言い含めるように遮断機降りてくる  熊谷冬鼓
ああ、これはわかります。
遮断機が降りてくる速度というか、警報との微妙なズレとか、カクカクした降り方とか、
そういったものみんな「言い含めるように」と捉えられたんでしょうね。
作品の感想に作者の人柄を持ち込むのは邪道かもしれませんが、否応なく反映されてしまうものって個性といっていいのではないかと思うのです。

いっせいに桜が咲いている ひどい  松木 秀
この「ひどい」はいい。
めちゃくちゃいい。
たった三文字の「ひどい」のなかに、ありとあらゆる感情が詰まっているような気がします。
一字空けに茫然とした空白の一瞬が再現されていて、臨場感あります。

去るのなら白い絵の具は置いていけ  月並与生
んなこと命令形で言われても、というツッコミはさておき。
色鉛筆だと白は最後まで長いまま残るんですが、絵の具はちょっと違う。
印象派の画家たちは白をたくさん使いました。
光を再現するため。
たいせつなひと(たぶん)に去られると真っ暗になりますから、光は必要。
と、解釈するのは無粋かもしれません。
この白い絵の具は作者にとってはいちばん不要なものかもしれませんし、不要なものであるほうが作品的にはおもしろいと思います。


久保田紺さんの句集『大阪のかたち』川柳カード叢書3 から
3ということは1と2があるのですね。(奥付には記載がないのでどんな既刊本があるのかは不明)

やさしいところが曲がるんやと思う
泣きながらそっと一マスあけはった
線路が曲がるくらいおこったはるねんて
『大阪のかたち』という句集名に象徴されるように、大阪弁をうまく生かした句が多い。
緩衝材のように置かれる方言には読み手のほほえみを誘うちからがあると思います。

水嵩が減ってかあさん見えてくる
回ってるからとうさんはだいじょうぶ
いもうとは案外伸びるゴムのひも
家族をモチーフにした句もまた多い。
紺さんにとっての父、母、弟、妹がどのような存在であるのかがうかがえて、「家政婦は見た」というフレーズがあたまのなかにふっと浮かんだりしたのです。

もらわれてゆくための箱組み立てる
よいにおいふたりで嘘をついたとき
箴言のような句たち。川柳は哲学にも通底するものがあるように思います。
(ちなみに110Pに「よいにおいふたりでうそをついたとき」というひらがな表記の句も収録されているのですが、これ単純ミスでしょうか?)

椎茸にしてくださいと湯に浸かる
もういやと鳴けばもういやという名前
痒いなと思ったら結んであった
これらの句群はわたしの手持ちのコードでは読み解けないのですが、好きです。
「椎茸」も「名前」も「結んであった」モノも、作者にとっては明確なきっかけがあるのだろうと信じられるのです。
それはたぶん、非現実的なことが書かれているにも関わらず、現実の世界とどこかで(あるいはなにかで)接続しているような気がするからかもしれません。

楽しい句集でした。


# by nakahara-r | 2015-05-21 23:56 | 川柳

運命という名の糸こんにゃく

連休が終わりましたね。
おしなべてゴールデンなお天気でよかったです。
遠出もせず、かといって家にも籠れず、どっちつかずの休日をけっこう楽しみました。

とかゆってるうちに時は五月。すでに立夏です。
きょうは朝日カルチャーの「やさしい川柳」講座3回目でした。
「緑」もしくは、「みどり」あるいは、「ミドリ」で一句提出してもらい、一句ずつ鑑賞していくスタイルが定着しつつあって、質問も活発に出てくるので、わたし自身が楽ませてもらってます。感謝。

では、棚に積まれている柳誌から。
「川柳フェニックス」は丸山進さんの瀬戸の教室の会報誌。
丸山さんという指導者を通じて初めて川柳を知ることは、川柳との出会いとしてはとても幸運なことであると思います。
作品のなかに朝日新聞の「東海柳壇」の入選句が散見されるのもうれしいことでした。
一句ずつご紹介。

「川柳フェニックス」No.4 より

このままで挑発的な皿になる 安藤なみ
ストレスが頭に来たら上手投げ 松長 進
この道に私の好きな路地がある 稲垣康江
菓子折りが涼しい顔で頼みごと 安井紀代子
来るものは拒みませんと湾になる 三好光明
君待つ樹甘夏一つ揺れている 高田桂子
助手席でシートベルトをする西瓜 前田トクミ
お尻だけ皮を張るのを忘れてた 水谷克行
香ばしい男がひとり焼き上がり 高橋ひろこ
音姫と私トイレでする輪唱 田地尚子
内閣もパチンコ台も入れ替わる 北原おさ虫
無駄骨も納骨堂に安置され 太田昌宏
マックィーンに似た人がいて今日は晴れ 安藤香代子
今日の日はドの音かなと日曜日 平子久仁子
パンくずに群がるボラは就活中 岩佐正彦
傭兵の求人もある古本屋 深谷江利子
回遊魚くるくる寿司で失神す 坂下昭子
噴水に持ち上げられて落とされる 丸山進
世界はねこの世とあの世しかないの 丸山進


「びわこ」5月号より

今月の表紙は大西菊水さんの10句。
天衣無縫というか、無邪気というか、楽しい句群です。

純白のびっくり箱が開きました 大西菊水
あの赤の中へ体を埋めに行く 大西菊水
あの、その、この、という指示代名詞は危険物扱いなんですよ、私の中では。
安易に使うと思わせぶりな句になりやすいというか、さもしいかんじがするんですよね。
だけど、この句の「あの赤」は〈ぶり〉ではなくて〈思わせる赤〉だと思います。
あれ? 意味不明ですか? 意味不明ですよね。えと、がんばります。
「あの」と作者(話者)が指差した先に、読み手は(具体物であれば)夕陽とかトマトとかスイカとかを見てもいいし、もっと抽象的に赤い記憶を想起してもいい。思わず体を埋めに行きたくなるようなそんな記憶。
あぅ。なんか百恵ちゃんの赤いシリーズとか思い出してしまったではないですか。

今回いちばん好きだったのはこの句。

狭かったんですと糸こんにゃくは泣く 久保田紺
なんていじらしい糸こんにゃくでしょう。ごめんね、わたしかも。お弁当にぎゅうぎゅう詰めたことあります、すき焼きの残りの肉のかけらといっしょに。だって、そのための糸状でしょう? 〈糸こん〉なんて略して呼ばれることも含めて、うんめい、なんですよ、糸こんにゃくの。
久保田紺さんはこんな句も書かれています。
意志の及ばぬところで、あってはならぬことが起きる。それはたいへんだなあと思った次第(違っ)
スカートの中が光って困ります 久保田紺

# by nakahara-r | 2015-05-07 22:19 | 川柳

弓なりのネパール、そしてひなまつり

雨ばっかりだった春が知らないうちに終わって、すでに初夏ですね。
町が緑に満ちてます。

では、手元の川柳誌から。

樹萄らきさんの『2014』は一年分の作品とエッセイの詰まった個人誌。
こうして自分の作品をまとめておくことって、じつはとても大事な作業で、それはだれもが重々わかってはいても、実際はなかなかできないことでもありますね。
べらんめえ口調がらき作品の特徴でもあって、それも魅力的ではありますが、この句、いいなあ。

弓なりになるまで鳴り響くピアノ 樹萄らき

「弓なり」になっているのはピアノだと思って読みました。
ピアノは音を出すのがおしごと。「弓なり」にはギリギリ感というか、一途な懸命さが感じられます。
それと同時に多幸感みたいなものもあるような気がして、そういえば桜も弓なりで咲いてるよなーとか思ったのでした。


『おかじょうき』4月号から
会員作品という雑詠から
たくさんの顔が埋められている真昼 土田雅子
いや、だから、こわいんですってば、真昼。
なんかスリラー仕立ての作品ですが、わたしはパンジーとかビオラとかを連想しました。
っていうと、なあんだ、って謎解きみたいになっておもしろくないんだけど、も、ですよ。
同じもの見て、このように書けるか? なんじゃないかなと思います。
もしこれがほんとうにパンジーだったとしたら、アウトプットのしかたに感動します。

国境を越えたら手前味噌になる 鳴海賢治
「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」という、ちょー有名な小説の書き出しがあたまに浮かびました。
「手前味噌」が別の意味をもつ新しい言葉のようにも読めて、じつにたのしい句です。

どうしても連れていってと泣くちくわ まきこ
ちくわ、かわゆし。
「ちくわ」という音のかわいらしさが十全に描かれています。
しかたない、お弁当のおかずにして連れてってやってください。
炒めますか? 揚げますか?

ゼクシィで殴られる けっこう痛い 松木 秀
うんうん、あの雑誌、けっこう分厚いですし。
じゃなくて、いやそれもあるかもだけど。
あの、結婚に特化した雑誌、ずっと気持ち悪いなと思ってました。
で、皮肉ったり馬鹿にしたりするのはけっこう簡単なことで、やってしまいがちなんですが、そういう句には好感がもてない。
でもこの句はちがいます。「けっこう痛い」という本音が軽く自虐めいていて、そこにかわいげのようなものを感じました。

この世から湾をしずかに掬い取る 横澤あや子
わかりません。湾がなにを意味するのか、まったくわからないんだけど、好きな句です。
鍋に浮くアクみたいに「しずかに掬い取る」んですよね、「この世から」。
この世を波立たせないように、細心の注意を払ってなされなければばらない、ある種のふるまいが書かれているのではないかと思います。

うなじより鶴飛び立ってから暮色 小野五郎
スズメやヒヨドリくらいならまあ、うなじから飛び立たせられそうなんですが、一歩譲って、鳩や鶏でも、まあ、いける。
だけど、鶴ですよ、鶴。けっこうでかいよね。
ショッキングな出来事に遭遇したりしたときに、後頭部あたりでバサバサッって音がするような気もします。
ちびまる子ちゃんで言えば、顔に何本か縦線が入って、冷や汗たらーり、みたいな。

チェシャ猫の笑わない種を飼っている 柳本々々
チェシャ猫をチェシャ猫たらしめているのは「笑い」ではないでしょうか。
ならば、笑わないチェシャ猫は、もはやチェシャ猫とは呼べないのでしょうか。
消せるボールペンとか、匂わない納豆とか、属性をゆるがすものはすでにあったりもします。
それでもボールペンと呼ばれ、納豆と呼ばれるわけで。
だから、笑わないからチェシャ猫ではない、とも言えないんですよね、じつは。
おもしろいですね。

題詠「孤」から
骨盤を矯正するか孤立するか 守田啓子
二択なんですね。
骨盤を矯正するか/孤立するか
と読みました。並列できなさそうで、そうでもなさそうなところがおもしろくて。
カッコよく「孤立」を選びとりたいきもちは山々ですが、
最終的に骨盤矯正を選びそうなぐずぐずな自分がいることに気づいてしまいました。
やれやれ。

「路」
T字路の右も左もガラパゴス 月波与生
ガラケーということばがありますが、日本ってけっこうガラパゴスっぽいと思います。
だから、もっと意外性を求める向きには、もしかしたらつきすぎと思われるかもしれない。
でも個人的にはこのくらいの距離感のほうが心地いいんですよね。
不思議なかたちの植物の下をイグアナがのっそり歩いてる風景なんか想像しちゃいました。

「セール」
おぢいさんなんてバナナの叩き売り 奈良一艘 
えと、この「なんて」はなに?
バナナの叩き売りみたいに「おぢいさん」なんて連呼されてるってことでしょうか?
ぜんぜん読めてないんですけど、「ぢ」も含めてめっちゃおもしろいと思いました。

イスラム国の砂漠の中のひなまつり むさし
この句をみた瞬間
ネパールはとても祭りで花むしろ 阿部完市
という大好きな俳句があたまに浮かびました。
そして、そのネパールで大地震がありました。
想像以上にこたえてます、なんか。
ともあれ、俳句の阿部完市はネパールの祭りの雑多な賑わいや華やぎを詠み、
川柳のむさしさんは、まぼろしの雛祭りを、殺伐とした光景、あるいは乾いた精神のなかにそっと置いてみたんですよね。
やさしい川柳だとおもいます。


去年も同じような時期に同じような写真をUPしたような気がしますが、
ことしもライラックが咲いてくれました。
ベランダに出るといいにおいがします。
しあわせ。


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緑色ってほんと多彩だと思います。いろんな緑があって、どれもうつくしい。
そんなことを言えば、赤だって青だって多彩なんですけどね。
新緑の季節はいちばん好きな季節。


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おまけのまりん。
「まりんさん、写しますよ」
「いや、にゃー」
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「えと、写しますけど……」
「すきにすればー」

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「もうちょっと右むいてもらえませんかね」
「……」
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「あの、右なんすけど」
「……、……。」

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で、やっと前向いてくれました。

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# by nakahara-r | 2015-04-26 17:13 | 川柳

やさしい川柳

※スキンころころ変えてすみません。
春だからです、が、もうこれで落ち着きますね。

朝日カルチャーの「やさしい川柳」講座2回目。
欠席4名、参加者11名、見学者1名。
宿題の「桜」15句(欠席投句3句)の中から各自いちばん好きな句を選んでもらう。
一句ずつみんなで意見を交わしあう。というとすごくハードルが高そうにきこえるけれど、
実際はうなづいたり、照れたり、困ったりしつつ、笑いの絶えない時間を過ごしました。
質問もばんばん出て、活発な講座になりそうで楽しみです。

なかはらの提出句
いつか会うひとの肩にも桜ちる
 
いままで遠慮してた(だれに?)自句自解も、この場ではやったほうがいいと思うので、します。
初めて川柳をつくった方々が、この2週間、桜のことばっかり考えて退屈しなかったと言ってくださったのが印象的。
「退屈しなかった」うれしいことばです。川柳にかかわると退屈なんてしてるヒマないんですよ、はい。


では、手元の川柳誌から作品紹介。ぼちぼちいきますね。

「水脈」4月号より

空き箱も昔話はもっている  岩渕比呂子
うんうん、空き瓶も空き家も入れ物としての役目を終えたとたんに「空き」という冠をつけられる。
クッキーや白菜や牛乳や人を体内にいっぱい詰めていたころの記憶は、入れ物たちにとって幸せな記憶なのではないかとちょっと思ったり。「もっている」のひらがな表記はあまり意味がないような気もするけど、どうでしょう。

映画館のドアをあけると鳥になる 平井詔子
ブルース・リーになったり健さんになったりして映画館を出てくるひと、いましたねえ。
とはいえ、この句、ヒッチコックでないことはたしか。
飛べそうな気持になるような、そんな映画だったのだろうなと推測します。

スパゲティの端から端までローマなり 大橋百合子
そうです。すべての道はローマへ続くんです。道じゃなくてスパゲティだけど。しかも端から端までで終わっちゃうんだけど。「ローマなり」という大言壮語風なところがおもしろかったです。

天気しだいで伊達巻にもなれる 一戸涼子
一月の体重計のあんぽんたん 一戸涼子
伊達巻! 意表をついてきますねえ。しかも天気しだいって。伊達巻になれるのは、晴れか雨か曇りか雪か、はたまた嵐か。もし晴れの日が伊達巻ならば雨だとかっぱ巻きなんだろうかとか、考えなくていいことまで考えてしまう、深追いしたくなる句ですね。

ゆるキャラになってあなたにつきまとう 浪越靖政
分解をしてから考える あした 浪越靖政
「ゆるキャラ」と「つきまとう」のギャップがめっちゃ、こわいんですけど。ストーカーですよね。しかも「つきまとう」ってぬけぬけと犯行予告してるし。このこわさはすごく今っぽい。



「びわこ」4月号より

今月の表紙は尾﨑なおさんの10句。

元気かと明朝体で聞きに来る 
つぶやいて少しわたしを膨らます
現実と戦っている洗濯機

いいですねえ。すきです。
とくに「つぶやいて」の句。
「膨らます」のキュートさにやられました。
「びわこ」はすてきな作家さんが多くて目が離せません。

以下、それぞれにコメントつけたくなるような、魅力的な句ばかりです。
読んだひとがなにかひとこと言いたくなる句を目指そうと、しみじみと思います。

時間切れですよとクモは巣を張った 山本知佳子
受け皿に溜まる見たことないいとこ 久保田 紺
Aが来ていくらかましになる話 小林勝一
緑色のえんぴつ旅に出ましょうか 高橋かづき
助けてとみんなボタンを押している 川﨑 章
静物になるまで点滅する背中 月波与生
羊羹の真ん中へんは避けている 重森恒雄
そのままでいいんじゃないかなあと水 峯裕見子
たずねるとポキンと折れるのも春か 徳永 政二
向こうからだんだん空になってくる 小梶忠雄


# by nakahara-r | 2015-04-16 19:23 | 川柳

母笑う汽笛や鳩をこぼしつつ

詩・歌・句・美の共同誌、『鹿首』(編集人・研生英午氏)に「ははとははのはは」20句を掲載していただきました。
タイトルはそのなかの一句。
誌上では、トマトとか人形とか人体とかいろんなものが壊れてます。


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柳本々々さんがアパートメントで書かれていた「夢八夜」が、紙媒体にリボーンしました。
フリーペーパー『やさしい夢八夜』です。
この羊男さん(?)の、わー、どーしよーな顔がいとおしくてたまりません。

欲しい方は川柳フリマに行ってみて、どうぞ。
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ものすごいひさしぶりに休日で、しかも雨ではない日だったので、「さくらだ、さあくらだ、わーい」と寺尾ヶ原の千本桜へ行ってきました。
ソメイヨシノは散るさなか。この愛らしい桜、まさに盛りでした。たぶん、楊貴妃という品種ではないかと思います。ここは何種類かの桜があるんですが、名札がついてないのです。
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これも、名称不詳。色はヒガン系だけど、時期的にはちがいますね。
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あしもとに、じみーにスミレが群生してました。さくら見るときってどうしても視線が上にいくので、うっかり踏んづけるとこだった。

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きょうはビジュアルに特化してみました。
テキストに特化するまで、あとちょっと。


# by nakahara-r | 2015-04-09 15:42 | フォト日記

たすけて、リゲイン

おねがい、タフマン。

きょうもあしたも仕事なんですよ。
来週の木曜日までお休みないんですよ。

というなきごとはさておき。

柳本々々さんがブログの記事で拙句をとりあげてくださいました。

掲句は吟行のときの句で、ほんとうにきつい坂道上っていたときのなんです。
ども、ほるん、りんくる
って何度も唱えながら登りました。
ですから「〈音〉の根本力」と看破していただけてうれしかったです。

ありがとうございます、もともっちゃん。
週刊俳句の西原天気さんが、ツイッターでこんなことつぶやいてらしたので、のらせていただきました。

柳本々々さんのこと、「もともっちゃん」という呼び方定着させようとしている自分。
(@10_key) 2015, 3月 27

えと、そうじゃなくてですね。
いや、そうなんですけど。
笹井さんの代表的なこの歌についてもともっちゃんと、すこしだけおしゃべりしてみたくなったのです。
ブログ越しに。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい  笹井宏之

ここでは「えーえんとくちから」と「永遠解く力」が表記上対立しあっています。「とくちから」といいながら、語り手は〈ひらいたままの引力〉を保ちきれずに、漢字表記として閉じていってしまう、そんなベクトルをもつ歌のようにわたしは感じます。つまり「えーえんとくちから」とは、〈ひらがな表記で耐え抜くちから〉のようにも思うんですね。でも、ひとはそれでも〈意味〉を欲してしまうから。意味によって救われようとしてしまうから、〈えーえん〉よりも、いま手に入る〈永遠〉という意味が欲しいから、意味に回収されてしまう。

と、柳本さんは書かれています。
意味が欲しいから意味にに回収されてしまう、というのはほんとうにそうだと思います。

はじめてこの歌に出会ったとき、
「えーえんと口からえーえんと口から」とあたまのなかで変換してました。
ものすごく自然に。
で、続く「永遠解く力」で、えー!そっち!?
とびっくりさせられて、さすがだぜ、笹井宏之。って思ったのでした。
多かれ少なかれみんなそうなんじゃないかしらん。

だから、いまだに「えーえんと口からえーえんとくちから永遠解く力」と変換が変わってゆくように思えてしかたがないんですよ。口の中で転がしていると色が変わる変わり玉みたいに。
だれかの口からふとこぼれた「えーえん」ということばを耳がひろったとき、いっしゅん「永遠」に変換しそこねる。
柳本さんが「<ひらいたままの引力>を保ちきれずに漢字表記として閉じていってしまう」と言われていますが、それは言い方を変えると「このまま(ひらがな表記)ではえーえんという呪文にしばられてしまう」みたいな漠然とした不安のようなものでもあるように思いましたとさ。

とさ。
で終わる、きょうのひとりごとでした。(おしゃべりじゃなかったんかい)


# by nakahara-r | 2015-03-28 23:24 | ただの日記

いとこでも甘納豆でもなく桜

タイトルは3月句会の雑詠でした。
ここ3日ほど寒いですが、春は確実に近づいてますね。
イベントの告知が目白押し。

川柳スープレックスで、柳本々々さんに「東海柳壇」の作品をとりあげていただきました。
ありがとうございます。
自分がいいなと思った作品をだれかもいいなと思ってくれる、というはすてきにうれしいことですね。
柳本さんの鑑賞でべつの味わい方、というが楽しみがうまれました。

同じ川柳スープレックスメンバーの飯島章友さんが「週刊俳句」412号の記事、
なかはらの作品をとりあげていただきました。
ありがとうございました。

*
では、遅くなりましたが読んだ本たちから。

「あざみ通信」NO.4より

約束が僕を静かな滝にする  大西俊和
いったいどんな約束なのでしょう。
那智とか白糸とか、ナイヤガラとか、さまざまな滝をいったんあたまのなかでミュートにしてみます。
音もなく落ちる大量の水。
なんとなく決意表明みたいなものを感じます。
男子だなーと。
17音しかない詩型で一人称を使用する場合、要、不要の選択は必至だと思っています。
そのてん、この「僕」は必要。

「あざみ通信」にはイベントのお知らせも掲載されています。
天野慶ちゃんと小池さんの対談は楽しそうですね。


「おかじょうき」3月号より

うちの(?)荻原裕幸さんが7月の川柳ステーション2015に出演、という告知が出ました。
ヒールに徹するらしいおぎーをご覧になりたい方はどうぞ。
(ちなみに某所では「背広悪魔」と呼ばれていたおぎーです)

初夏の青森、すてきですよ。
行きたいなあ、行こうかなあー。
7月4日(土)です。


一塁が空いているから象にする 田久保亜蘭
選抜高校野球が始まりました。そろそろプロ野球も開幕します。
タイムリーな作品なんですが、「象」って!
そこは敬遠でしょうがって、思わずツッコんでしまいました。
いやでも、内野手がマウンドに集まって「なあ、象にする?」「うん、一塁空いてるし、な」「わかった、象でいこう、象で」とかいう会話が交わされいるのかもしれず。
みんなグラブで口元隠して話してるでしょう、あれ、怪しいと思ってたんだ、じつは。

ヨブ記からトリコロールを取り戻す 月波与生
さっぱりわかりません。「ヨブ記」っていうのはヨブさんの話、程度の知識しかないわたしです。
たぶん「出エジプト記」のようなスペクタルな話ではなく、じみーな話なのでしょうな。白黒作品みたいな。
あ。だからトリコロール=カラーを取り戻すなのか(違っ)
ま、でも「ヨブ」が「呼ぶ」と重なることから「取り戻す」がごく自然に引っ張られてきたのではないかと思います。
フランスの国旗であれ、床屋のねじり棒のようなポールであれ、音として「トリコロール」と「取り」が重なっているところも読み手が立ち止まる要因なのかもしれません。

蛇になる覚悟はあるか茶素麺 奈良一艘
「ねえよ。」とつぶやいてしまいました、はい。
形状は似てますが、別物です。生き物と食べ物ですし。
とか、素麺の立場に立たされて言訳してしまうという、そんなふしぎなちからのある句です。
それはたぶん、「覚悟はあるか」と壁に追いつめられることの多い人生を送っている、わたしを含めた読み手の総意ではないかと。

壁ドンもできないくせにドラえもん 松木 秀
ですよねー。
壁ドンにはちからづよい手のひらが必須。
あのぐーしかできない手では、無理ですよねー。
「くせにドラえもん」ってところに、万能感あふれるドラえもんの本質(?)が見え隠れしています。
みんなでだまされていてあげてるだけなんだぜ、ドラえもん。
とはいえ、ドラえもんに壁ドンって必要か?
という、ドラえもん愛に満ちた句でもあるのではないかと思います。

両手首包まれる三月の霧に 守田啓子
ああ、もうそれは家事も仕事もなんにもできないですね。
手首から先が霧のなかにあって、目には見えない状況なのか、
もしくは両手首にじっとり冷たい手錠のようなものがある状況なのか。
ほら、どちらにしても作業はむりです。このくそ忙しい年度末に。
本格的に春になれば霧もしぜんに消えるんでしょうけど。3月ってそういう月じゃないでしょうか。

遠くから宗教的なキスをする 柳本々々
家族的と恋人的なキスの区別はできますが、宗教的って。
「ヨブ記」の句をひきずっていたので、旧約聖書的な、厳かで清々しいのを想像してしまいましたが、新興宗教的な、いかがわしい、あやしいかんじのものだって想像できますよね。
遠隔操作だし。いや、遠距離恋愛か。でもキスって近づかなければできないわけで。
地理的なものであれ、心情的なものであれ、「遠くから」というキスをするひととされるひとの距離感が、この句の要ではないでしょうか。
この文中にもいっぱい使いましたけど「○○的」って便利なことばなんですよね。
安易に使ってしまいがちな「的」のあやうさも提示されているのではないかと思います。
確信犯的に(笑)

まあいいじゃないかと笊が打ち寄せる 小野五郎
笊、です、ザル。波じゃなくて。
笊だから救えません。いや、掬えません。
そんなものに「まあいいじゃないか」って言われても。
文句なしにおもしろい句ですね。すきです、はい。
ちなみに、波に「まあいいじゃないか」と言われたとしたら、ムッとくるかもしれません。
だって、まあいいじゃないか、まあいいじゃないかって何度でも押してくるんですよ。
かんじわるー。とくに「まあ」のとこでイラッときませんか。
笊でよかった。

菜箸がセンターライン越えてくる 熊谷冬鼓
鍋、ですかね。
たとえば二人で鍋をつついてて、鍋奉行のひとが菜箸で鍋のなかをいじる。
「あ、そこ、こっちの領土」という線を越えて。一線を越えた菜箸、ですね。
越えたほうは全然気づいてなさげなところがまたなんとも。
こうゆう句って「菜箸」が喩なのか、「センターライン」が喩なのか、まず考えるんですけど、作り手としてわたしは「センターライン」が喩という解釈を採りました。
「菜箸」が喩でも、それはまたシュールな図になっておもしろいんですけどね。


おまけ。
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ことしも大量にとってきました。
つくしはきんぴら、がうちの定番。
サラダ油に、香りづけのごま油で炒めて、砂糖と醤油とお酒で味つけしておわり。
白いごはんにあいます。
大きめのタッパーふたつぶんできました。


# by nakahara-r | 2015-03-25 23:37 | 川柳