<   2015年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

向日葵に胸があってはなりませぬ

タイトルは、ねじまき6月句会の題詠「胸」提出句。

6月も終わりますね。
もう一年の半分が過ぎたかと思うと、意味もなく焦ります。

さっきテーブルの足につま先をおもいっきりぶつけて、痛みがあたまのてっぺんまで届いたのでした。
泣きたくなったので、思い切って泣きました。
こういうとき、一人暮らしだと気が楽です。
だれにも気を使わないで泣ける。
だけど、まりんさんが心配そうにみつめるので、しかたなく泣きやみました。
ああ、すっきりした。
精神的な要因では泣かないのに、肉体的な要因で泣く、というのはどうなのか、自分。
とつっこみをいれたところ。


「びわこ」6月号から

母さんが両手でしぼる菜種梅雨  谷口 文
奥の間で母がくしゃりと潰す箱  北村幸子

チェックした順に引いたら、たまたま母の句が揃ってしまいました。
娘の視線がとらえる母、というのは特別で複雑です。
菜種油ではなくて、菜種梅雨をしぼるような得体の知れなさ。
<両手で>とありますが、だいたい雑巾でもなんでも絞るときって両手ですよね。
なのにわざわざ<両手で>と書かれることによって、読み手にとって、なにかをしぼる自分の手の動きを追体験しやすくなるという仕掛けがあるのではないでしょうか。
次の<奥の間>の句。
奥の間という隠蔽された場所で、なにが入っているのかわからない箱を潰すような怖さがあります。
<くしゃり>という擬音が怖さを助長してて、もう、ほとんどホラーです。
その怖さというのが自分の投影であることを、娘である彼女らはよく知っているのです。

アナウンスされた番号から散るよ  久保田 紺
病院とか、銀行とかでしょうか。
「24番の番号札をお持ちの方は3番窓口へどうぞ」とかいうアレですかね。
だから、この<散る>は「番号札を持ったひと」であるはずで、人があちこちに<散る>のになんの問題もありません。
ところが<番号から>という省略のために2とか、4とか、5とか、数字が花びらのように散る光景が連想されます。なんだかとってもデジタルですね(意味不明)

私の声がちゃんと出てるか桜島  街中 悠
わたしの中でわたしが溺れてる  藤本 花枝

またまた、偶然にも<私>と<わたし>が並んでしまいました。
以前、俳句の友人に「川柳はわたしわたし言いすぎる」みたいなこと言われて、深く同意したことがありました。
でもね、弁解すると、ことほどさように、川柳書きは自分自身を信用していないんですよ。
自分という存在が自明ではないところからしか発語できないのが、川柳書きのサガではないかと思うのです。

軒下に仕立て屋の札すみれ咲く  増田雲水
いいですねー。
「軒下」といい「仕立て屋」といい(しかも札!「着物仕立て〼 とかいうヤツですかね)ちょっとレトロなにおいがします。景だけで成り立っているところなんか俳句っぽい仕立てなんですが、こうゆうのも好きです。
風が吹いてて、札が揺れてるとなぜか確信しました。

ふりかなは背中に付けておきますね  月波 与生
ああ、それはご親切にどうも。と言いたくなりました。
だけど、なんの背中なのか、謎。
そもそも<ふりかな>をふられるべき漢字(あるいは外国語の固有名詞)はどこにあるのか?
たとえば、ものすごく理不尽なことを言われたとき、その相手の背中に理不尽さのみなもとを感じたりすることもあるよなーと、ふと思ったのでした。

裏側が磁石になっている四月  峯裕見子
いや、おもしろいです。
で、冷蔵庫とかにぴたっとはっつけておくんですよね。
ピカピカの新入生や新社会人たちであふれる四月ですから、落っこちたり風で飛ばないようにぴたっと。
ちなみに12月だと裏起毛とかになってるんですかね。

この朝はカーテンとしてどうなんだ  徳永政二
いや、どうなんだって言われても……。
と、カーテンくんが困惑してる図が浮かんできて笑えます。
たぶん作者の思惑とは違う朝だったりしたんでしょうけど、<この朝>って言われるほど他人からみれば特殊でもなくて、それはカーテンとはなんの関係もあろうはずはなく。
まあ、そんなことは百も承知で八つ当たりされてるんではないでしょうか。
穏健な作風の徳永さんには珍しい句だったので、なんかうれしくてニヤニヤしてしまいました。

三角がかたんことんと来てくれる  小梶 忠雄
三角形が動くとすれば、まさに<かたんことん>と音たてるでしょうね。
めっちゃかわいいんですけど、この三角。
しかも<来てくれる>んですよ。
「さよなら三角、またきて四角」という歌かな、囃子言葉かな、そんなのありましたよね。
トライアングル、冬の大三角形、三角関数、三角関係、壮大なものから卑近なものまで、三角ってすごいなあと思います。この句をみなければ三角について考えることなどなかったはずで、まさにそういうところが川柳を読む楽しさなんじゃないかと思います。
by nakahara-r | 2015-06-28 23:40 | 川柳

魔法の数と揺れる記号たち

川柳スープレックスで「鹿首」の作品をとりあげていただきました。
飯島章友さん、ありがとうございました。

肌寒い日が続く、ちょっとへんな梅雨です。
気圧が不安定なせいか、偏頭痛に襲われたりしますが基本的には元気です。

そんななか、俳句ハガキが届きました。
タイトルのグラデーションがうつくしい。
西原さんが赤系で金魚、笠井さんが青系で目高、というところも洒落てます。

その男さみし首から上が蠅 西原天気
六月や切手を舐めて雲を見て
首から上が蠅! 不気味とか怖いとかじゃなく「さみし」というところ、好きです。
むかし「ザ・フライ」という映画がありました。主人公はさみしいひとでしたね、たしかに。
 

夜の新樹すべてのドアの開くたび 笠井亞子
つつがなく夕暮れが来て冷蔵庫
樹の香りが匂い立つ一句です。若葉や樹液のにおいと、もう寒くはないけれど、すこし冷えた夜の空気が感じられます。萩尾望都や長野まゆみのえがく少年たちの夜、を連想しました。

d0162614_22330521.jpg


ご紹介が遅れましたが、俳人の花森こまさんの個人誌「逸」には、楢崎進弘さんの川柳がなんと300句も掲載されていて、とても読みごたえがあります。
隠れ楢崎ファンのなかはらとしてはうれしい限りです。
さっそく今日のカルチャー教室で資料として使わせていただきました。
前半部より10句ほど抜いてみますね。

苦しくていとこんにゃくを身にまとう
何はともあれ時代はいつも冷や奴
あとがきの長さも魚肉ソーセージ
缶詰のパイナップルの面汚し
いちにちの終わりのほうで鰯かな
肉体としての駅舎を通過する
かろうじて犬のかたちの犬眠る
すべり台を滑る三泊四日ほど
かつて岩崎宏美の前髪のせつなさ
もう少し寒くなったら笠智衆

好きな句を抜き出すときりがないのでこのへんにしておきますが、
このほかにも魅力的な句でいっぱい。

そして、うれしいことその2
倉本朝世さんの10句が掲載されています。

砂こぼすように忘れる出生地
この世から剥がれた膝が美しい
生まれてきた日「えいえん」にさわった日

「逸」は定価1000円
興味のある方はこちらまでメールいただければ対応いたします。
nezimaki@coffee.ocn.ne.jp


「おかじょうき」6月号

病院の待合室はすこし黒 横澤あや子
いもうとは原っぱだけを置いていく 横澤あや子
ずっと気になっている書き手のひとり、横澤さん。
「病院」と「黒」、「いもうと」と「原っぱ」の取り合わせは常套とまではいかなくても、いたってふつーなのに、ふつーではない作品に仕上がっているのは、「すこし」と「だけ」という、<限定>ゆえなんじゃないかと思います。「すこし」という限定によって暗そうにみえて、ぼんやりと明るいかんじを与えたり、「だけ」という限定によって、あっけらかんとしてるようにみえて、ちょっと持ち重りがするかんじを与えたりするんじゃないかと。

八時から十二時までの声でした ひとり静
六月を放ると父が落ちてくる 守田啓子
一対一より十対十のほう偉い 田久保亜蘭
数字の句を並べてみました。
かつて俳句の世界では正岡子規の<鶏頭の十四五本もありぬべし>について、「七八本でもいいではないか」と論争が起きたと聞いています。個人的には「十四五本派」なんですが、だって、七八本は穏健にすぎる。十四五本の異常さは「ありぬべし」というへんてこな語法に妙にマッチしているように思えますから。ひょいと掴んだ数であれ、考えて決めた数であれ、一句のなかでどのように作用してるか、ですよね。上にあげた作品たちの数は動かない、と思います。おもしろいですね、数って。

プール大プリンの揺れのト音記号 柳本々々
疑問符がふやけて夜が降りて来る むさし
続いて記号です。どちらも不思議な記号たち。
まず柳本さんの句、「プール大プリンの揺れ」までが「ト音記号」に掛かってます。おおきく揺れたんですね、ト音記号が。あの縦棒の下部が左側にカーブしたその先っちょにある、マッチのあたまみたいなとこが揺れて、揺れは次第にプール大プリンくらい大きくなって、くるくるした渦巻に伝わって、全体が揺れるんですね。プリンの揺れ方って独特でしょう。たっぷんたっぷん揺れるト音記号。ホーミーとか、そんなかんじの音楽かなーと思いました。
むさしさんの疑問符ですが、あれは点のとこをひっぱるんですよ、きっと。
ふやけてるから、点も膨張してるわけで、蛍光灯の紐みたくなってるんじゃないでしょうか。
ね、夜、降りて来るでしょう。
しかし、記号ですら揺れたりふやけたりする。川柳って動詞ですね。



by nakahara-r | 2015-06-17 22:33 | 川柳

南から水平線が攻めてくる

タイトルは本日のカルチャー講座の題「南」の提出句。


自分的にはちょっとだけぼーっとしたたつもりなんですが、すっかり6月になっていました。

カルチャーの講座のための資料を作らなきゃと、古い冊子をあれこれ整理してるうちに、自分で書いてたのに書いたことすら忘れていた作品評の掲載誌がつぎつぎ出てきて、うっかり読んでしまいました。
ま、まずい。
10年も前の文章なのにまったく成長していないではないか。
と、思いましたことです、はい。

川柳を読んでて、いいなあと思ったり、好きだなあと思ったりすることは、ふつーにだれにでもあります。
一歩すすんで、どこに惹かれるんだろう、なぜ惹かれるんだろうと自分に問いかけてみると、もうそれはりっぱに鑑賞ですよね。
好きな作品について、大通りで声にだして言えることって、けっこう気持ちいいしうれしいです。
むかし、初心のころ大先輩に、いい川柳書こうと思ったら文章は書くな、みたいなことを言われて、ひどくびっくりしたことがありました。
こむづかしいこと書いてると、あたまでっかちになっていい川柳は書けなくなる、というのが大先輩の持論でした。
どっちみち、わたしにこむづかしいことなんか書けっこないんですが。
評が書けなくてどんづまり状態だったとき、某O氏から「理屈じゃぼくに勝てないよ。なかはらさんのいいとこはテキトーだけどやさいしいとこ」って言ってもらったことがありました。
いや、勝とうなんて一ミリも思ってませんが、ね。
たぶん、某O氏は(こいつはちょこっとあたまなでときゃ、ある程度登る)と踏んでたんではないですかね。
策士ですから。

で。思ったんですよ。
川柳スープレックスの柳本々々さんの記事(もちろん「あとがき全集。」も含めて)を読ませていただいてると、ものすごく勇気りんりんになります。
同時に、やわらかくてあったかいものに包まれたかんじにもなります。
おもわず、笑みがこぼれます。
それは、けしてわたしみたいにテキトーではなく、一句が丁寧に丁寧に取り扱われているからだと思います。
あの場にはしあわせな光景があります。

いや、きょうはものすごく日記風ですが(そうか?)
っていうか、あした読んだらはずかしいかも。


いちにち、虫になってきました。
苔はやわらかくてしっとりつめたくて、はだしで踏むときもちいい。

d0162614_22150779.jpg
 

まりんさん、さいきん、すぐに負けたふりします。
プライドはどこにわすれてきたのでしょう。
d0162614_22144114.jpg

あご。
d0162614_22145744.jpg



by nakahara-r | 2015-06-04 22:23 | ただの日記