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七月の七がちからをふりしぼる

タイトルはねじまき7月句会の提出句。
7月も終わりですね。
月刊★ねじまき更新されています。
(もう、「週刊★ねじまき」でもいいんじゃないかと)←なぜか小声



柳本々々さんのブログ「あとがき全集。」 の7月24日の記事そらとぶあとがきについて思うことがあったので、忘れないうちに書いておこうと思います。

柳本さんは、(川柳には)「俳句における季語のようなデータベース的な共有された巨大なシステムとしての他者がない」、「短歌のような七七という下の句がない」から「上の句と下の句で構造化できない」ために「主体のねじれが起こりやすい」と考察されています。

いつもながら鋭いご指摘に圧倒されます。
アプローチの仕方や表現方法は違うかもしれませんが、同じようなことを考えていました(います)。
永田和宏さんの『表現の吃水 定型短歌論』の有名な「合わせ鏡説」を読んだとき、同じようなことを思いました。
上句と下句が問答という構造を成すという、あれです。
永田さんが言われる「問い」は、柳本さんが言われる「他者」ですね。
それで言えば川柳には答えしかありません。
ではほんとうに川柳には問い=他者はいないのか? 

川柳のルーツは付句です。あらかじめ提出された問いである七七に対して、答えとして書かれた五七五でした。それが進化(?)の過程で七七が外れていった。というか、七七がなくても五七五だけで自立できる句が良しとされ、残っていったのです。
では、消えた七七である、問い=他者はほんとうに消えたのでしょうか? 
わたしは目には見えないけど在る、と思っています。あるときは五七五に吸収され、あるときは「題」にかたちを変え、あるときはまぼろしの七七として、そこに存在しているのではないかと。

吸収されたり、外部にあったりする、見えない「問い」のせいで、柳本さんが言われる「ねじれ」が生じるのではないかしらと思います。



〈ねじれ〉とは、これまで存在しなかった関係性をはじめて関係しえない関係性として生み出すことではないのだろうか。そして/だからこそ、川柳にはつねに〈ねじれ〉が胚胎している。そらとぶあとがき より

by nakahara-r | 2014-07-30 22:29 | 川柳

自然界の大和、足跡、プラン9

ブログタイトルはいつも一番最後に瞬間芸のようにつけるのですが、しぜんかいのやまとって、たぶん「紫電改のタカ」という、ちばてつやの漫画が記憶のかたすみにあったのだと気づきました。少年マガジンだったかなー。
題名どおり、日本海軍の名機、紫電改という戦闘機に乗るパイロットの漫画でした。めっちゃかっこよくって、夢見る小学一年生だった乙女なわたしは夢中になって読みまくりました。あのころは右傾化だの軍国主義だの言われなかったけどなー。あのころのほうが終戦時に近かったのに、ふしぎーと、なんのくったくも思い入れもなく思います。

遅くなりましたが、東海柳壇(7月10日掲載)から、すこしご紹介です。

泣いている自然界にはない声で/丸山 進
かぶさった袋と枇杷の深い仲/小柳津絢子
カーナビは邪馬台国を知ってそう/松山 真
恐ろしいことです金がありません/鷲見正子
もう少し手が長ければ届く虹/田平充子

丸山さんの句は「自然界にはない」につきますね。「この世のものではない」と言い換えると一目瞭然。意味は同じはずなのに、受けとる側にとってはまったく別物と言っていいような感触があります。なんか、五感を刺激されるような不気味さ。ことばってほんとにふしぎ。
松山さんの「邪馬台国」は「知っている」だったらぜったい採ってないですね。「そう」がものすごくチャーミング。
鷲見さんの「金がありません」には爆笑しました。この非詩感のハンパ無さ。もうね、もう、採らざるをえんでしょう。


「おかじょうき」7月号が届いています。
一ヶ月って早いのね。

駅弁を開けば戦艦大和かな 角田古錐
駅弁の蓋あけるときって、なぜかドキドキしますよね。買うときに中身確かめているはずなのに。あれ、なんなんでしょうね。ともあれ、戦艦大和です。どひゃー。「かな」って落ち着いてていい状況なんでしょうか。という、感想はさておき。
わたしはナンセンスなんていう括り方はあんまし信用してないんです、実は。
ひじょうに細いものであっても、作者の深層のふかいところに眠っていても、意味というか関係性みたいなものが<無い>わけがないと思うんですよね。理屈では説明できないだけで。<無い>のは理屈であって、意味=関係性じゃないのではないかと。唐突に思える「戦艦大和」も「駅弁」の当時は夢であった白米とつながってるように思えます。いずれにしろ「戦艦大和」に軍国とか反戦とか、イデオロギーのニオイが皆無なところがすてきと思います。

旧友は椎茸ふたつ置いて去り 月波与生
このふたつの椎茸の存在感はハンパないですね。お宅で採れたりっぱなふたつだったのでしょうか。チョー巨大なものか、チョー珍しいかたちのものか。旧友と作者の関係性や、無くなりつつある共同体の中での暮らしのようなものがほのみえて、ほのぼのしました。

たまに戻ってくる足跡と空を見る 守田啓子
足跡の主は猫でしょうか、犬でも鳥でもいいんですけど。いまは不在であるものと寄り添っているわけですね。ともに空を見るという行為は愛ですよね。きらいな相手と空は見ないので。愛するものの痕跡はときに本体よりも鮮明に存在を主張するものだと思います。不在はいいです。非在ではないから。(なぜかものすごいかんちがいをしてて「空を見る」を「月を見る」と読んでましたので、書き直しました。守田さん、すみません)

そうですねプラン9で光ります。 柳本々々
ご意見は賜りました。といったところですかね。最後の「。」で一句が一行の台詞であるように思えます。ぜんぜん光ってないじゃないですか、という意見というか苦情に対して「そうですね」といったん受けた場面ではないかと。しかし、対処としては「プラン9で」なんですね。この9という数字にも意味はあると思います。仏の顔も三度までということばがありますが、通常、ひとは3度目くらいまでは我慢できるように思います。であれば「そうですね」が本気だったら「プラン4」か「プラン5」が妥当です。ところが「プラン9」なんですね。真摯な態度にみえますが、ぜんぜんご意見賜ってませんね、これ。笑えます。

同誌の句会作品を読んでおもしろかったので。

じいさんにじいさんがいて僕もジイサン 奈良一艘 
三親等まで立たされる飛び込み台 月波与生

題詠「台」の作品です。「飛び込み台」は台としてわかりやすいんですが、「じいさん」は言われなければわかりません。場によって題詠の題に対する許容範囲は違ってくるわけですが、それはまた別の話です。
おもしろいと思ったのは「じいさん」の句も、家系の縦軸をモチーフにしているという点で「三親等」の句と同じなんですよね。ご先祖さんたちが年代ごとに階段状の台に乗っているみたいイメージをもちました。

今月の一押し

跳び箱は月です喪主は私です 奈良一艘



きょう(?)のまりんです。

先日の台風のとき、ベランダの鉢植えを部屋の中に避難させたのでした。

え。そこあたしの場所ー。だ、だれ、あんた?
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えい、えい。
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ねこぱんち!
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ねえ、ねえ……。
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どかしてー、これ。
あたしのばしょー!!

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by nakahara-r | 2014-07-23 16:18 | 東海柳壇 拾穂抄

ねじまき#1

もう、いいかも。
というかんじで「ねじまき#1」のビジュアル紹介です。
やっとできあがりました。

詳細は 月刊★ねじまき にて。


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歌人で俳人で川柳にも親しんでくださっている正岡豊さんが、とてもステキな動画をつくってくださいました。
ビデオ句集です。
BGMもいっしょにお楽しみください。
youtubeなんて媒体は新しいのに、なんとなく昭和なところがことのほかお気に入り。




by nakahara-r | 2014-07-22 22:33 | 川柳

くらげ来て帰る七月七日かな

タイトルは旧作。
七夕はとうに過ぎましたが、
台風もなんとか過ぎましたが、
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

なかはらは、なんかここんとこ、ボーナスステージみたいです。
二つのサイトで作品を取り上げていただいております。
ありがとうございます。

柳本々々さんがご自身のブログあとがき全集。
お別れね 壜の中身を当てたからの二句を取り上げてくださっています。
なんか、アレですね。
柳本さんの鑑賞文は理系の分析力と、文系の直感力が、放射線状に発動されていて、読んでいてうーむと唸ってしまうばかりです。
作者も気づいていなかったがそうだったのか的な発見があって、とてもうれしいです。
文末の「すなわち、」ってとこ、めっちゃかっこえー。
惚れ惚れしますな。


なぞの批評家&表現者である、
御前田あなたさんのブログいつだって最終回で、
を取り上げていただきました。
ゾンビ要素を追加(御前田さん談)していただいて、近未来的というか、平行世界的というか、クールな読み物になっております。
図書館とか、地下とか、すてきすぎる。
さ、さ、さんじゅうねんくらい前の作品だぜ、
(実際には26年前です、はい)
とてのひらに脂汗流しつつも、感無量。
                   注:あぶらはだいじです



おまけ。
当用漢字1945がえんえんと出てくるだけの動画です。
ずっと見てると字がダンスしてるみたいに見えてきて、けっこうすき(笑)
ランダムに出てくる漢字ですが、途中からアイウエオ順(しかも訓読み)なんだと気づきました。
10分もえんえんと漢字に付き合えるフェチな方だけに、お奨めします。





by nakahara-r | 2014-07-12 20:49 | 川柳

紫陽花も骨も猫も湿ってしまう雨なのだ

7月になりました。
梅雨が明けたかのようなお天気が続いていたのでうっかりしてましたが、
あら、あなたまだいたのね、と振り向いてしまう今日の雨です。

下書きに残しておいたはずの長ーい記事が消えたので、ちょっと凹みちぅ。

柳本々々さんがブログあとがき全集。の6月27日の記事、
頭蓋骨の短歌/俳句/川柳ー頭蓋骨のきれいなお姉さんは好きですかーで、
湿っててうまく割れない頭蓋骨 なかはられいこ
をとりあげてくださっています。
「頭蓋骨に立ちはだかれてしまっている」状況であることを読み取っていただけて、とてもうれしかったです。ありがとうございました。

柳本さんの記事の発端となったのは、ねじまき6月句会に提出された、
紫陽花へ向く六月の頭蓋骨 八上桐子
でした。

板取川にある、通称あじさい街道のあじさいが盛りです。
毎年行かないと気がすまないのか? うん!
実物は写真で見るよりもう一段くらい深い青です。
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どこまで海でどこまでぼくで紫陽花か れいこ

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あざみエージェントさんから、またまた美しい本が出ました。
句集『やさしい雨』
てのひらにすっぽり入る庫本サイズの川柳句集です。
たとえば、ぶらりと入ったカフェでこの本をひらく。
めっちゃ絵になる光景だわ、と思いましたが、
(モデルによる、モデルによる、モデルによる)
とあたまのなかでだれかがつぶやくので、
からくもカフェは思いとどまりました。

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草の名を問えば君から届く風
何者でもない私になって 雨
南へ行きましょう終わりにしましょう
(撮影協力:まりんさん)
       
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著者:しろつめあきこ
デザイン構成:倉本朝世
定価」1000円 


いまやまりんの定位置となってしまった、ここ。
電話機さんの抗議の声がきこえてくるようです。
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最後にじみーにお知らせ。
月刊★ねじまきが更新されています。
じみーなお知らせのわりに、個人的にはめっちゃわくわくしております、はい。


by nakahara-r | 2014-07-06 19:33 | 川柳