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湯たんぽと竹林をわたる風、あるいは季語の枕

2月13日の朝日新聞の東海柳壇
コメントを書いたのは以下の5句。

おはようが湯たんぽ抱いて下りて来る/石田興
ため口が通る敬語を押しのけて/森本伸子
本を読む人の隣の席が好き/長谷川維乃里
鵜と鷺が水面で囲碁を打っている/細矢進吾
自分にも老眼鏡にも呼び出し音/三好光明


石田さんの「湯たんぽ」の愛らしさってば、もう。
たぶん、毛布もひきずってるよ、この子。
ライナスみたいに。




四日市にある「アクアイグニス」という、リゾート施設に行ってきました。
なんというか、地中海風? 
宿泊施設に、日帰り入浴できるお風呂と和食やイタリアンのお店とパン屋やケーキ屋さんがくっついたとこ。
(なんというおおざっぱさ)
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内部はこんな。
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お風呂は竹林の中。
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オーガニックがなんちゃらとか、有名パテシエがどーしたとかこーしたとか、
こじゃれ感がはんぱなくて、なんかちょっと恥ずかしかったのはないしょ。
そんなトレンド感覚に欠けるわたしも、このケーキには感動したのであった。
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しあわせ。




*きょうのまりん

キーボードをたたき始めると、
あそんでー、なでてー。攻撃が始まる。
キーの上を動く指をじっと見つめる。
ときどきなめる。
仕事中なんだが。
としばらく放置する。

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そのうち、あきらめて寝る。
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なぜかお気に入りの枕となった『定本・現代俳句』山本健吉著なのであった。
高さか? 高さなのか?
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凍港や旧露の街はありとのみ/山口誓子


ソチ五輪もいよいよフィナーレです。
by nakahara-r | 2014-02-22 22:37 | 東海柳壇 拾穂抄

ねじまき2月句会

ねじまき句会@2月

ちょっと風邪気味で電車に乗る気力がなかったので車で出かける。
高速をつかって一時間弱、時間を読みちがえた。
句会開始までまだ40分もある。

風が強いけど日差しは春だ。
ベンチでゆっくりしようと、公園を抜ける。
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鳩が一羽舞い降りた。
木の影が網みたいだ。
おまえはすでに包囲されている。
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と、みるみる増殖する。
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うひゃー。ついてくるよー。
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まばたきの数だけ鳩がいる上野/れいこ

句会では1時から6時までみっちり意見交換した。
2月句会の結果については、後日。




先回のねじまき12月句会、なかはらのお気に入りをご紹介。

足の裏だけが知ってる地図がある/米山明日歌
日本地図であれ、世界地図であれ、地図を見るのが好きだ。
知らない名前のついた知らない町。
軒がひしめく狭い路地や、町外れに立っているかもしれない一本の美しい木。
地図はわたしの「どこでもドア」なんである。
米山さんのこの句は「足の裏」であるところが眼目。
道路のでこぼこや、湿った砂を踏んだときの感触が、温度や匂いとともに鮮やかによみがえる。


湯豆腐の大和魂らしきもの/瀧村小奈生
これはもう、ぜったいに木綿だよね。
湯豆腐に大和魂を感じたところもそうとうへんだけど(ほめてます)
それよりなにより「らしき」である。
「湯豆腐の大和魂」と決め付けられたら反発したくなるのがにんげんの悲しいサガである。
そのサガをよおく知っているのが瀧村小奈生という書き手。
で、「らしき」で脱力するわけですよ、
作者自身が感じる「ん?ほんとに大和魂なのか、それ?」を低反発枕のようにするために。
まあ、本人はたぶんそんな計算してなくて天然なんですけどね(重ねてほめてます)


そして題詠「園」から、とどめの一句。

熱川バナナワニ園ワニワニ/二村鉄子

なんじゃ、そりゃあ。

助詞も副詞も助動詞もなんにもない。
名詞だけで立ってる句。
「の」ぐらい入れろよ、と思って「熱川バナナワニ園のワニワニ」としてみたら、
あーら、ふしぎ。説明になっちゃって「なんじゃ、そりゃあ」という気が失せる。
わにえんわにわにという音のかわいらしさも激減する。
ぜんっぜんおもしろくない。
むかし「熱川バナナワニ園」に行ったことのあるわたしは断言する。
あそこのワニたちは「ワニワニ」というかんじでのどかーに重なったりしてるんである。
二村鉄子という書き手はおそろしい。
by nakahara-r | 2014-02-16 21:39 | 川柳

おかじょうき 2月号

全国的に雪でしたね。
岐阜はいま雨です。
(バレンタイン? なにそれ? おいしいの?)

あしたの朝、凍ってないといいな、道。
出勤なんですー。

フィギア男子のフリースタイル見たいんだけど、起きてられるでしょうか。
じゃなくて、書かねばならぬ何ページかがあるときに限って、
ブログを更新したくなるのは、なんでしょう。
現実逃避と位置づけるより、
本番前のストレッチと位置づけることにしました(きっぱり)


では、『おかじょうき』2月号から気になった句を。

蟹の足むしる独りのトテチテタ/角田古錐
「トテチテタ」は突撃ラッパの音でしょうか?
と、突撃ラッパという言葉を知ってる自分におどろきつつ、
蟹の足と戦う孤高の古錐さんを想像する。
おもしろうてやがてそこはかとなくさみしくなる句。

狼狽えた姿で車海老日和る/月波与生
あはは。笑ってしまいました。
しかしこの海老の活きのよさはどうよ。
活き海老にお酒ふると狼狽えたように動きますよね。
それを「日和る」と見切った与生さんはすごい!
「日和る」って……すごいなあ。(大事なことなので二度いいました)
くいしんぼゆえ、蟹と車海老ははずせませんでしたとも、はい。

しょうもない電車だ引いて帰ります/まきこ
これも好き。
「しょうもない電車」ってどんなだよ、しかも身内かよ、と。
しょーもない、ダメダメな電車に対する、愛が、
「引いて帰ります」(すみませんねえ、うちのダメ電車が)
という責任感を生むのでしょうね。

夕焼けと木綿豆腐を好きな手だ/山田楓子
夕方になると豆腐屋さんが「とーふー、とふ、とーふー」と
やってきたのは昭和何年ぐらいまでなんでしょう。
へたするとただのノスタルジーで終わりそうなところ、
最終的に「手」に収斂させることでうまく回避されていると思います。
木綿豆腐を好きな手ってとこが現実とうまくリンクしていて、
そういう手の持ち主を読者は自分の身近にいるひとを勝手に当てはめることができる。
そのうえ、「が好き」ではなくて「を好き」なんである。
「が」には能動的な、「を」には受動的なニュアンスを感じるのはわたしだけだろうか。

手も足も折り畳まれて立っている/守田啓子
手も足も出ない状況の描写なんでしょうけど、
「折り畳まれて」るんだから、傘を想起させるように書かれています。
作者の意図としては、濡れている、あるいは湿ってるかんじも含まれているのではないかと思いました。
濡れたまま閉じられて、傘たてに立てられる。
自分でどうすることもできず、突っ立ったまま、無力感に包まれて。
そんなふうになるときがある、いやあった、わたしにも。

原因の雨かんむりは苔むして/横澤あや子
お手上げです。もうね、まったくわかりません。
でも、好き。
「原因の雨かんむり」ですよ。しかも「苔むす」んですよ。
さっぱりです。でも、ああ、それが原因だったのね、となんだかみょーに納得しちゃったのです。
川柳ってすごい。

ONE MORE TIME くさかんむりのまま眠る/須藤しんのすけ
雨かんむりの次は「くさかんむり」だよ、ママン。
しかも英語だよ、ママン。
草原でねっころがったときの、周りの草たちと同化できそうな、あの心地よさを思い出す。
もういちど、もういちど、草にまみれて眠れば、きっと。
スタイリッシュな作品でした。




きょうのまりん。

まりん、みづくろいちゅう。
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あー、もう、みられてるとおちつかにゃいー。
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やーめた。
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おちつくとこ、おちつくとこ。
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ここにゃ!
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んしょっと。(顔はどこに?)
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(あ、あった、顔)
だから、みるにゃー!
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by nakahara-r | 2014-02-14 13:59 | 川柳

夕焼けを流しつづけるラジオ局

奈良にお住まいの上井とまとさんと、不思議なご縁で知り合った(それはまたべつの話)のですが、
こんなことになっておりまして……。
ならどっとFMの『やねうら』というラジオの深夜番組にでます。
   ↓










30分の番組なのに、なんか、4時間ぐらいしゃべったです。
時間を忘れるくらい楽しかった。
上井さんの感度がいちいちすばらしくよくて、おもいっきし笑ってくださるので、
ついついのせられてしまいましたがな。
さすが、ですな。
残念ながら東海地方まで電波がとどきません。
が、ネットで聴けるようにしてくださるそうなので、
詳細は後日ご報告しますね。

とまとさんとの不思議なご縁についてもいつかお話できるかと思います。

※注
句集は出しましょう
  
by nakahara-r | 2014-02-12 17:31 | ただの日記

買うだけだ

年初の東海柳壇でコメントを書いたのは以下の五句。
変わらず投句してくださっている常連さんたちの達者な句に混じって、
初めてお名前を拝見する方が増えてきたのがうれしい。

あきらめの先にあるもの初日の出/酒井かよ
線香のゆらぎに似てる年初め/細矢進吾
粘り気があってめくれぬ月曜日/喜多村正儀
重箱の隅を突くと返事あり/伊藤弘子
蛇口から日本チャチャチャ滴って/青砥和子


そしてコメントは書けなかったけどめちゃくちゃ気になったのはこの句。

わたし今真っ白の花買うだけだ/小柳津絢子

いっしゅん、ふつーじゃん。
と、通り過ぎそうになるけれど、よくよくみればけっこう異様である。
「わたし今」に助詞がないのはモノローグだからだろう。
たどたどしく聞こえるせいか、みょうに切迫感がある。

そもそも白い花を買うという行為には弔事の気配がある。
なにごとかが起きて、自分にはなにもできない、と思い知るとき。
無力感にうちのめされたあたまのなかには、どうでもいいような、なんでもないようなことしか浮かばないのだ。
友人の訃報を知らされたとき、わたしのあたまに真っ先に浮かんだのは「図書館に本返しにいかなくちゃ」だった。
なんだろうね、それって。




職場で「桃色」と「ピンク」どちらで呼ぶか、が話題になったとき、ふいに祖母が「肉色」と呼んでいたことを思い出した。肉色と聞くたびに、怪我をしたときの傷口と痛みを思い出して嫌だった。
リアルすぎる。
肌色はまだ許せるが肉色は許せない。
「れいこの肉色のはんけち」とか言われたら、きっとだれだってピンクの持ち物はぜったいに避けようとすると思う。
祖母のことは嫌いじゃなかったけど、わたしがピンク嫌いになったのはまぎれもなく祖母のせいである。

で。
ピンクのお鼻とピンクの肉球のまりんです(笑)


ひなたぼっこにゃりん

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どうしても逆光になるので補正をかけてみる。
あー、もうせっかくまったりしてたのにじゃましにゃいでー。
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by nakahara-r | 2014-02-03 23:23 | 東海柳壇 拾穂抄