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水脈 第34号

やんごとない事情があって日曜日のねじまき句会をお休みしてしまいました。

時間をやりくりして参加してくださったみなさんに申し訳なく思い、
急に準備や司会やあれこれを務めてくださったこなおちゃんに感謝しつつ、
仲間、っていうことばの持つちからをしみじみ思う。

ひとはひとりじゃ生きられないですね。

おかげさまでくだんの「事情」はことなきを終えました。
ちょっと落ち着いたところです。


そんなこんなで、月刊★ねじまき更新しました。




「水脈」第34号をいただく。

前号に引き続き、浪越靖政さんが「川柳の可能性」と題する一文を書かれている。
おかじょうきの第17回杉野十佐一賞の大賞受賞作品、

ササキサンを軽くあやしてから眠る/榊陽子

について、浪越さんは前号で「もっともっと川柳の幅を広く持ちたいと思うし、作品の自由、解説の自由の中で、いろいろな川柳が出現してこそ、川柳万々歳だと信じている」と書かれていて、柔軟な立ち位置を表明されている。それに対する、日川協の理事長である、大野風柳さんの肯定的な感想が紹介されている。

おもしろかったのは、「川柳ステーション2012」の特選句と、『川柳カード』創刊記念大会の特選句と、
日川協主催の「第37回全日本川柳青森大会」の受賞句が並んでいるところ。

ぜんぶは引けないので、それぞれ二句づつ引いてみる。


むさし特選
Re:Re:Re:Re:Re:胸には刃物らしきもの/守田啓子

なかはられいこ特選
夏用の鎖骨を誂えに 海へ/菊池涼


広瀬ちえみ特選
ピーマンがオープンカーでやってきた/井上しのぶ

小池正博特選
過呼吸のカード どこまでお使いに/村山浩吉


「文部科学大臣賞」
人間の森に絆という根っこ/田辺与志魚

「参議院議長賞」
縄文の遺跡に眠る津軽の血/柳田健二


うーん。
川柳ステーションと川柳カードの作品は近いと思うけど、
全日本は、うーん。ちょっとぞわぞわします。悪い意味で(笑)
わたしには全日本の作品群は許容できない。
それは川柳書きとしてのわたしの矜持である。

そもそもこれは「作品傾向の違い」なんだろうか。

表現とはなんだ。
韻文とはなんだ。
わたしが、あなたが川柳に関わっているのはなぜだ。
それが川柳でなければならないのはなぜだ。

とりあえず、わたしは「文部科学大臣賞」も「参議院議長賞」もいらないや。




さいごに、きょうのまりん。

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さいきんは窓の外が気になるもよう。
夕方やさかい、たそがれてまんねん。
by nakahara-r | 2013-08-25 22:22 | ただの日記

終戦記念日

はじめにお断りしておきます。
閲覧注意です。

まず、この記事は長いです。
それと、読んで不快になるかたもおられるかもしれないので、ヤだなと思ったら、すぐに閉じてくださいね。

いままでブログで政治的な発言をするのはちょっと違うなあと思っていましたが、このところほんきでマスコミはじめ、中国や韓国の態度にほとほとうんざりしているので、書いちゃいます。
実際にこんなこと書いちゃうと、右翼なのか、とか、レイシスト(差別主義者)なのかとか、いろいろ思われたり、ちょっと引かれたりするかもしれません。けど、もうそう思われてもいいから、黙っているのはやめます。

テレビも新聞もみていないけど、ネットのニュースや動画を見ると予想通り、この日は靖国一色でした。
中国や韓国では政府の閣僚が参拝した、許せんとか、総理が玉串料を奉納した、反省してないのかとか、トップニュースでガンガン騒ぎ立てていて、それをまた日本のメディアが「アジア諸国の反応」としてとりあげています。で、こういった場面でいつも「アジア諸国」ということばが使われますが、靖国参拝に批判的なのは中国と韓国だけであることに気づいている日本国民は徐々に増えていっています。

だいたい、アジアの国がいったいいくつあると思ってるんでしょう。27カ国あるんですよ。東アジアだけでも日本入れて8カ国。でも、マスコミのいうところの「アジア諸国」とは中国と韓国のふたつだけです。「世界が」というときもたいがい中国と韓国、そしてときどきアメリカが入るくらい。どんだけ狭い世界観なんだよ、と思いませんか。中国と韓国(北朝鮮も入れてみる)以外のアジアの国24カ国は、政治家の靖国参拝にいっさい文句言ってません。日本と正面切って戦ったアメリカですら一度も文句言ってないし。


そもそも歴代総理が靖国に参拝するのを、中国と韓国が批判しはじめたのは、中曽根政権以降です。それまでひっとっことも文句言ってなかったのです、彼らは。じゃあ、なんで突然文句言い始めたかというと、某新聞が「靖国にはA級戦犯が合祀されている」という一大キャンペーンを繰り広げ、さいしょは反応の薄かった中国にご注進に及んだからです。それに韓国も乗っかった。いったいどこの国の新聞なのかと思います。「国益」という言葉はマスコミの辞書にはないのでしょうか。

それに、わたしもむかしは勘違いしてましたが、A級、B級、C級戦犯というのは、罪の重さのランクではないのです。A級は平和に対する罪、B級は通例の戦争犯罪、C級は人道に対する罪、というカテゴリーなんであって。しかも極東裁判の平和に対する罪と人道に対する罪の適用は事後法です。法の不遡及原則に反しているのです。だから極東裁判の判決なんてそもそも違法です。これは私見ですが、極東裁判自体、小国の黄色い猿にさんざん苦しめられたアメリカの、ただの復讐劇ではないかと。

もっと言えば1953年には、「戦犯」とされた者を赦免し、名誉を回復させる「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が社会党を含めて圧倒的多数で可決されています。社会党含めてというところがミソ。反対するものはいなかったということですね。したがって戦犯と呼ばれるひとは現在、日本にはひとりもいません。

だいたい靖国神社は戊辰戦争の戦没者を慰霊するためにできた東京招魂社というのが母体なんですが、日清日露の戦没者も、支那、満州事変の戦没者も祀られているし、警察官や消防士や自衛官なんかの「国のために殉職した」人々の御霊も祀られてます。神道の、ふつうの神社です。
なのに参拝するだけで軍国主義だとか、へんないいがかりをつけられて、毎年毎年、中国と韓国のたった二国と、日本の(ほんとうに日本のか?)マスコミに騒がれる。だいたいGDPの10数%を軍事費に使う中国(日本の10倍!)や、徴兵制のある韓国に「軍国主義」なんぞと言われても、ねえ。
内政干渉どころの話じゃないでしょ。

そもそも韓国(当時の朝鮮)は、その頃、日本であって、朝鮮人は日本兵として戦ったんだし(靖国には朝鮮兵も祀られている)「強制連行」されて戦わされたと言ってるけど、毎年、募集人員の何十倍もの志願兵がいたという当時の新聞記事も残っています。日本人に憧れ、日本人になれることが誇らしくて日本軍の兵隊になることがステータスだったのです。

1910年8月22日、韓国併合ニ関スル条約が結ばれ、日本の統治が始まりますが、併合後わずか10年も経たないうちに水田面積が1.8倍になり、併合後30年余りで人口が約2倍になりました。併合時には実学を無視した寺子屋(書堂、生徒数14万人)しかなかった教育制度は昭和19年には5000校以上の近代的な国民学校を創り出し(生徒数約240万人)、世界が不況に苦しんでいる時期であった併合期間の多年にわたってGDP成長率が年平均4%以上、併合前の多額の援助を含め併合期間中の国家予算のほぼ3分の2が日本政府の負担でなされました。(「歴史再検証 日韓併合」崔基鎬、祥伝社)これのどこが植民地なのでしょう。当時、東北地方は凶作が続いて深刻な状況でしたが、そんな東北への救済を二の次にして当時の政府は朝鮮半島に投資したのです。
東北のひとたちは、怒っていい。

何もない土地に道路を作り、橋を架け、ダムを作り、ホテルや病院や学校を建て、教育環境を整え、それまで2%だった識字率を70%にあげ、オンドルのために伐採しまくって禿山になっていた山に植林し、いたるところに桜を植え、トイレの観念がなく道や川に排泄物を垂れ流すのをやめさせ、下水道を完備し、鉄道を敷きました。
たとえそれが移住していた日本人のためだったとしても、地獄のような植民地時代と言われるほどひどいことなのでしょうか。確かに差別はあったかもしれない。でもオーストラリアのアポリジニやアメリカ大陸のインデアンのように民族を根絶やしにするような残酷なことはしていない。統治中に朝鮮の学生たちは甲子園大会に出場できたり、修学旅行に行けたりもしてました。朝鮮人が選挙で地域の議員に選ばれたり、警察官として採用もされていました。欧米の植民地のように奴隷として扱ってはいなかったのです。アフリカや東南アジアのように資源もなく、搾取するものなんか何もない土地から何を奪ったというのでしょう。日本は朝鮮半島を日本の一部として扱っていたのです。

そんなことやこんなこともすっかり忘れたふりをし、戦後マッカーサーに、「日本にいやいや戦わされただけだから、戦勝国に入れてくれ」と泣きつき、「アホか」と却下され、しかたなく勝敗に関係のない第三国という立場をとったのが朝鮮です。もうね、馬鹿かと。
ちなみに同じ日本の統治国だった台湾は、朝鮮ほど優遇されていなかったにもかかわらず、日本軍として戦ったことにいまでも誇りをもつお年寄りがいたりするチョー親日国であるのです。

例えば経済だったり、社会保障だったり、国内の不満のガス抜きとして「反日教育」をするうちに、大統領は反日でなければ支持率が上がらず、支持率のために陛下を侮辱するトップとか、親日派の娘であるからこそ、就任挨拶に1000年恨むと宣言しなければならないトップがいたり、もう韓国は後戻りできないところにまできてしまいました。

アメリカの学者による日中韓の歴史教科書研究によれば、日本の歴史は「ヒストリー」、中国の歴史は「プロパガンダ」、韓国の歴史は「ファンタジー」であると結論づけています。ここさいきん、韓国の若者はかつて日本と戦争をしたと思ってますから。遠くない将来、国を挙げてそう言い出すのではないかとすら思ってしまいます。

そもそも韓国には世界史の授業がありません。あるのは韓国史だけ。だって世界史教えると国史との整合性がとれないから。まともな歴史教育をしてないから、日韓基本条約の内容もわかっていないのです。
そんな国に「歴史を忘れた国に未来はない」とか言われても……。

原爆を天の罰だと言ったり、震災を「お祝いします」と言ったり、初代の首相であり、明治の偉人であった伊藤博文を暗殺したただのテロリストを「英雄」と言ったり、あろうことかそのテロリストの銅像を博文翁が殺されたハルピン駅に建てると言ったり。一国の大統領がそんな愚かな言動をする国なのです。
そんなトップの言動をだれひとり批判することもなく、ってゆかむしろ「よく言った」と支持率が上がる国なのです。そのような民度の国とほんきで「話し合い」ができると?

さいごに。
大東亜戦争(と、ゆっちゃいますよ)で、アメリカが明確な戦争犯罪を犯したことから世界の目をそらすため、日本の国体や日本人に対して行った、戦後統治の一環として、日教組による自虐史観の押し付けがあります。ようするに、日本はこんな悪いことをした、それを止めるためしかたなく(非戦闘員を殺傷することがわかっていながら、軍需工場があるわけでもない燃えやすい木造建築の密集する)東京の下町を狙って空襲し、まだ降参しないので、しかたなく(非人道的な兵器である)原爆を広島と長崎に落とした。それもこれも日本がアジア諸国に侵攻し、極悪非道なふるまいをしたから、それをやめさせるためにはしかたなかったんだ。
という、戦争犯罪を正当化するための理屈です。
それがアメリカの言う「正義」なのでしょう。

わたしは日本人として、非戦闘員である日本人を虐殺したアメリカに腹が立ちます。だけど、どの国も自国の国益を守るためには嘘もつくし、ごまかしもする。それは当然のことだと思います。なので、しかたがない。いくらアメリカのやり方がえげつなかろうが、しかたがないと思います。だから日本は中国や韓国のように、アメリカに謝罪と賠償を要求したりはしないのです。

断っておきますが、わたしは戦争を美談にするつもりはありません。大東亜戦争が正しい戦争だったとは思いません。正しい戦争なんてあるわけがないのです。当時の世界情勢と極東の小国であった日本が置かれていた立場を考慮に入れても、それでも戦争は避けるべきだったと思うし、日本に領土、領海を広げたいという野心がまったくなかったとも言うつもりもありません。
それでも、戦後70年を過ぎたいまでも、依然として「敗戦国」として中国と韓国に謝り続け、配慮をしつづけ、莫大な資金を出し続けなくてはならないとしたら、そんな「敗戦国」が日本以外に、この世界のどこに存在しているのかと問いたいです。同じ敗戦国のドイツは一貫して「ナチスという党が悪かったのだ、ドイツ国は悪くない」という立場を貫いていて、賠償金さえ支払っていないのです。それどころかドイツは戦後、何十回も憲法改正してますし。

配慮しようが配慮をやめようが、謝ろうが謝らなかろうが、中国と韓国はなにかしら新しい問題をみつけ(あるいは捏造し)要求をしつづけるでしょう。
ほんきで日本に反省してほしいわけではないのですから。逆に反省されると自国の問題に向き合わざるをえないため、困ると思います。なにしろ国民を団結させるための求心力として反日があるのだから、ね。
by nakahara-r | 2013-08-15 22:38 | ただの日記

おかじょうきを読む

おかじょうき8月号が届く。
ねじまきメンバーの瀧村小奈生ちゃんの選者デビュー号なんである。
むさしさんとの共選の結果をたのしませていただきつつ、なおちゃんの選評について考える。
今回の題は「香」。なおちゃんは「匂」と「香」はちがうという選句基準を貫いている。匂いで多くあった佳句を落とすのはとても勇気がいることだ。575の中に「香」という文字が入っていなくても「香」が感じられればいただくだろう。ただ、「匂い」と書かれていれば、わたしも採らない。だってそれじゃあ、もし同じ場に「匂」という題が出た場合はどうなるの? と思うから。まあ、「香と「匂」が題として同時に出るような場はないんだろうけど。
題は句を書くきっかけに過ぎないとは思う。思うけど題の許容範囲が広がりすぎると雑詠に限りなく近づいていく。どこかで線引きは必要だと思う。

よし、ねじまきで今度いろいろやってみようと、わるだくみをしながら「川柳ステーション2013」のトークセッションを読む。あいかわらず編集の古錐さんがいい仕事をしてらっしゃいます。
ん? え? 我が名が出てきとるがね(と、とつぜん方言になる)

司会のSinくんがゆってる、わたしの「吐くなんて言わないで」というセリフは、もう十数年前、ラエティティアという、詩人、歌人、俳人、作家さんなど多数の物書きが入っていたメーリングリストのなかの発言だ。
当時からというか、川柳を始めたころから「吐く」という言葉には違和感があった。「吐く」という言葉がきたないというのが問題ではない。問題は「吐く」という言葉が、生の感情(うらみつらみや、嫉妬やどろどろしたもの)を想像させるからだ。
たとえば、あなたが川柳を知らないひとだったとしよう。「川柳ってどう書けばいいんですか?」と質問したとする。そこで「思いを吐くんです」と答えられたら、きもちわるー。と思わないだろうか?
わたしなら、ちょっとひく。
ラエティティアという文芸MLは若い書き手がたくさんいて、いままで知らなかった川柳というジャンルについて興味津々の場でもあったのだ。
だからと言ってべつにカッコつけたわけじゃない。若い(その頃はまだおとこのこだった 笑)Sinくんが川柳界の長老のように「吐く」と言ったからびっくりしたのだ。Sinくんには「川柳する」ぐらいゆってほしかった(笑)。
とういう冗談はさておき、川柳が少なくとも表現である以上、ナマな感情をどう昇華させるが問われるのではなかろうか。
残念ながらわたしは時実新子のように「泣きながら、血を吐くように吐いた句」なんていっこもない。もっとも時実新子のあの言葉を文字通り信じているひとがいるとすれば、そっちのほうがわたしには驚きだ。だって客観性の大切さについても新子は語っているではないか。
泣きながら書いたっていい作品にはけっしてならない。感情でずぶずぶの恥かしい句になるのがオチだとわたしは思う。真夜中に書いた手紙を朝の光のなかで読み返したときのように。
もし、なにかのまちがいで、わたしが泣くようなことがあったら、泣いてる自分を見て「ばっかみたい」と思いながら、しめしめと一句にしてみる。そういう川柳書きにわたしはなりたい。偉大なる先達である時実新子がそうであったように。

ちなみにわたしはきれいがよくてきたないが悪いなどとは思っていない。下品も極まれば上品だと尊敬するO氏は言うが、そのとおりだと思う。だいたいそう思っていなければ川柳なんかやっていない。だから、くんじろうさんがゆってることはニュアンスとしてはわかる。だけど「吐く」という言い方にそういったビミョーなニュアンスを感じ取れるのは川柳の世界の住人だけなんじゃないかとも思う。
よく素人が俳人に向かって「一句ひねってください」とゆったりするけど、あれ、滑稽でしょう?





かたいはなしはこれくらいにして。
きょうのまりん

ちょっとおすまし。


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by nakahara-r | 2013-08-05 21:52 | 川柳