2012年 06月 03日 ( 1 )

川柳ステーション2012(後日)

カミングアウトするが、わたしはへたれである。
いきなり(笑)
だれも信じてくれないかもしれないけど、人前に立つときんちょーのあまり、からだのどこかがぷるぷる震える。多少、場慣れしたこともあって、トークではあまりそういうこともなくなったけど、披講は別である。
たぶん、ひとさまの作品を読むということが、自分の責任においてしゃべることよりも緊張を促すのだと思う。自分のものではない作品を、その作品の生まれ出たときの鮮度そのままに、わたし個人の色や匂いをつけないで伝えなければならないと思うからである。と、自分に都合よくかっこよく分析してみる。が、じつはただの言い訳だったりする(笑)
今回も読み上げた句箋を脇取りのひとに渡すとき、手がぷるぷる震えて困ったのでした。


そんなへたれのわたしは、へたれな表現者がすき。朔太郎よりも中也である(並べるか?そこ)そして芥川よりも太宰である。
仕事を終えて、深夜、八戸から駆けつけてくれた笹田かなえさんと、おかじょうき代表のむさしさんと、なおちゃんと、Sinくんの車でいつか行きたいと思っていた斜陽館につれていってもらう。標識を見かけるたびに「じゅうさんこ」とか「ごしょがわら」とか読み上げずにはいられないのはわたしだけかと思ったら、なおちゃんも同様の病だったらしく、Sinくんに「いちいち声に出す?」と笑われる。
田植えが終わってうつくしい浅緑になった水田や、遠くにみえる山々をうっとり眺めていると、助手席のむさしさんが「左見て、左」と言う。あ、どこどこ?と見当違いのところを探すわたし。あー、馬だ。というなおちゃん。
うー、見逃したー。かくして人生のちっちゃな損は積み上がってゆく。


朝、ホテルを出たときには曇っていた。かなえさんは「私がいるからぜったい晴れる!」と言い切る。
なんておとこまえ。
と、宣言どおりにいつしか晴れたのでした。
おとこまえじゃなくて、巫女かもしれないね。なんかかなえさんにはそんな雰囲気がある。

d0162614_10123195.png


太宰治、本名、津嶋修治。ちっこい修ちゃんが裸足でぺたぺた歩いたかもしれない、ひんやりした檜だかヒバだかの高級木材でできた廊下を、恐れ多くも裸足で(サンダルだったから靴下はいてなかったんだもん)ぺたぺた歩く。
かなえさんもなおちゃんも「きっと、ちっこい修ちゃんがさわったよね」と、壁や柱にさわってる。
館内にいるあいだ中、ちっこい修ちゃんのまぼろしが消えず、館を出てからもしばらく残像が残った。
津嶋のシマがヤマドリだったことも、家紋が鶴丸だったことも、お母様のタネさんが「夕子」と書くこともはじめて知った。


次は斜陽館と同じ五所川原にある立佞武多の館。
「たちねぶた」と聞いたとき、立ったまま寝てる豚?と、オヤジまるだしのことをいって、Sinくんの不興をかったことはないしょ。
いやー、圧倒的でした。
すごい迫力。
口をあんぐりあけたまま見上げる。
大きいということはただそれだけでえらいのだ。
写真撮るなんて考えすらもてずひたすら圧倒されて見上げ続ける。
どんなんかなあ、という方は笹田かなえさんのブログへどうぞ。
川柳日記「一の糸」


青森のねぶたは凱旋だから「らっせ、らっせ」と思い切りはじけるけど、五所川原のは出陣なので、背後に女神の姿があって、掛け声もしずかなんだとか。

立佞武多のスクリーン上映をみてるうちに、地元のふつーの人々のふつーの暮らしのなかで祭りというもののありようを思って、なんだかうるっときた。
こんなとこで泣くなんて、と思って横をみると、「な、なおちゃん、もしかして泣いてる?」

長いこといっしょに居すぎましたね、わたしたち。




そして、三内丸山遺跡へ。

ああ、この空間、だーいすきー。みわたすかぎり緑、緑、緑である。わたげの元気さもでかさもハンパない。いっそこのままこの草っぱらに住み着きたいと思ったことでした。
手つかずの(あるいは最小限度に人の手が入った)土や草や木がある場所にくると、がぜん、草と同化したくてたまらなくなる。
なにしろ前世はえのころ草だったので(意味不明)
で、づかづかと丈高く茂る草の中に踏み入って、寝転がる。
目を閉じる。
まぶたを通して強いひかりを感じる。
息をする。ふかく、ふかく。
草いきれ、遠くにきこえる人の声、風、葉ずれの音。
ちっぽけなわたしという生きものを、肉体という入れものごと受け入れてもらっているような、満ち足りた気持ちになる。

d0162614_1154789.png


じゅうぶん満足してごそごそ起き上がり、みんなが待つ方に戻ると、「綿毛だらけ」とかなえさんが笑いながら髪や背中を払ってくれるのだった。
そういうことされると惚れてしまうやろ。(と、こころのなかでつぶやく)

北の仲間たちのシャイな殻をまとった人懐っこさみたいなふんわり感は、わたしたちには想像もできないような過酷な冬を絶えてきた、強すぎない日差しや、木々の緑や、ふかふかした土にはぐくまれているせいだろうと思う。

あいしてるよ、土と草たち、北の風と大地。またきっとくるからね。


ともあれ、東北の旅は無事に終わり(帰りの新幹線のホームまちがえて、あやうく乗り遅れるとこだったことは別にして、しかもそれ、行きの新幹線でもやったし……)それぞれの日常がはじまる。
by nakahara-r | 2012-06-03 00:54 | 川柳