浦安の夜の匂いのまま眠る

タイトルはねじまき句会の題詠「安」の提出句。
どんな漢字も題になったとたんにむつかしくなるのは、なぜ?

やっと締切地獄をぬけました。
こういうとき、お酒のめるといいなあと、めっちゃ損した気分になります。
はい、わたしは何を隠そう下戸です。
ええ、うそっ! 酒豪にしか見えん! と、何度でも驚いてくださる方々がいて楽しい限りです。

わけあって、いま、折句というものに挑戦中なのですが、
考えてるとちゅうで、なんども川柳ってなんて自由なんだろうとしみじみ思います。
だって上5、中7、下5の置換もできなければ、句跨りも使えない。
具象に使うモノも自由に選べない。
え。
折句知らないですか?
たとえば「さくら」なら
さ○○○○
く○○○○○○
ら○○○○
と作ります。
上5は「さく」で始まってはいけない。
中7は「くら」で始まってはいけない。
という縛りもあります。
たのくるしい。

 
ねじまき仲間の米山明日歌さんが第一句集を上梓されました。
川柳をはじめてから八年間の集積から編まれたもの。
初心のころからうまいひとなんだなあと改めて思います。
ねじまき句会に出された作品は鮮明に覚えていて、
句会でそのときどんな意見を言ったかまで思い出してしまいました。
抽出した10句はとくに好きな作品。

蓋をする淋しい音になったから
しみじみと骨の重さのわかる夜
眼が合えば光合成をしてしまう
三センチ浮いた感じのする世界
鏡から帰って米を研いでいる
偶数の中で一人になる私
言訳の代わりの雨を持たされる
わたしを拾うあなたを拾う秋の道
略式の略すところがわからない
竹串がすっと通れば春ですね
      
               米山明日歌句集『前へ』 新葉館出版

句集を通読して気になったのは「わたし」という一人称の多さ。
あとがきに「自分を見つめることの多い句」ばかりになったとあります。
川柳をはじめるとどのひとも、こんな自分やあんな自分を発見するもので、
そういった軽い(あるいは重い)おどろきが一人称の多用につながるのかもしれません。
米山明日歌の興味が「わたし」から他のものに移るのも遠いことではないでしょう。
そんな日をわくわくしながら待ってます、仲間のひとりとして。


by nakahara-r | 2016-03-13 22:34 | 川柳


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