溝がまたげぬ

 溝がまたげぬ

涼風にもう病人は丸くなり
三ヶ日炬燵に積んだ新刊書
清貧と言はれ赤貧歯を鳴し
朝の幸郵便屋さんにお辞儀する
裏口を知らぬ納豆屋朝鮮語
小商ひ帰るを見れば乳母車
言ひきつたその顔を師に微笑まれ
稲妻に嶺は裂かれず厳とあり
壇上ですぐ泣き叫ぶ主婦と母
子宝がこぼれて困る写真班
子のあたま大きい春の影法師
庭の隅萩ほろほろと位置まもる
許婚褒めれば睨む柿の皮
ぢつと見る色鉛筆のたくましさ
この秋の清水を母に飲ませたし
ランプつけて百万長者物に倦き
やはりあの樹だつた母校の庭の隅
洋服は夜露の肩をかき抱き
出鱈目のやうにトランプ人を待ち
海の音船は旧式帆前船
ニツポンの衿足見せる好い話
新妻も目白も朝陽まぶしがり
河原までどうにも思案尽きてゐる
逃げて行く家鴨のお尻嬉しさう
犬吠えてゐるが聞えぬ工場区
角店の夜をリヤカーの仕舞ひどこ
息子から風邪がうつつていたはられ
額の字の眼の届くとこ肱枕
五十年勝ち負けなしに夫婦呆け
親は生きてるが遺産として算へ
枯れたかと思ふ柳の冬の色
川でとぐ米幾粒か世を逃れ
合掌のひととき腕時計を聴く
出世して机上に受話器三つ置き
ソフトクリームぐるぐる廻す舌の先
算盤へ声が小さい同業者
能舞台恩師へ微塵だに立たず
猫も齢とると鳴かずに通りすぎ
産毛よしこの四月から女学生
麻雀の指先それが生きるすべ
放送に訛がひどい小説家
金魚鉢泥鰌を入れて凄くなり
冷やつこ今の夕立からの風
応接間腰を浮かせて金を借り
無医村のこれが家かと思ふ軒
耳と眼と別に働く稲光
出勤簿今年も無事な一つ印
食堂車さうは富士山晴れてゐず
母親へ理屈で勝つて涙が出
花散つて元の学者の庭となり
ぞんざいな男ばかりの衣紋竹
総踊芸者と芸者突き当り
親子体操母の通りに間違へる
大川端水が火になる美しさ
母の指冬の包丁蒼白な
花ひらく雄芯雌芯顔あげて
沈丁花ここのお寺の空つ風
チヤンと坐つて子のおめでたう受けてやり


by nakahara-r | 2006-01-01 10:31 | 川上三太郎『孤独地蔵』


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