2015年 08月 19日
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八月も終盤ですね。
タイトルは旧作です。
子どものころ、弟が途中で放り出したゼロ戦のプラモを完成して以来、
いっときプラモ作りにはまりました。
水に浸したシールをピンセットで慎重に貼る作業とか、
セメンダインの匂いとともにわたしの中では真夏の記憶でありつづけています。
もっと大きくなったらぜったい戦艦大和を作るんだ、という野望がありました。
いや、作りませんでしたけど。
なかなか時間がとれなくて更新が滞ったままでした。
「時間というものは作り出すものです」と、
ずっと前にだれかに言われたことを思い出して、
なにかに平伏したくなるような今日このごろではあります。
周回遅れの感想です。
「杜人」2015夏号より
しっとりと濡れて崩れてゆく路肩 鈴木節子
最後の「路肩」がガツンときます。
こうして表現されると路肩もまるでいきもののようにみえて不思議。
ってゆか、たぶん鈴木さんにとっての路肩は、とりわけ今にも崩れそうな土の路肩はとても親しいものなのだろうと思います。
もしかしたら、そんじょそこらの人間よりも。
新しい紙を汚したほっとした 加藤久子
わかるわー。
便箋でも画用紙でも、もっといえばこの記事が書かれる前の枠であっても、
最初の一文字、あるいはただの線がそこに記された瞬間に、「新しい紙」にあったあらゆる可能性が消滅するんですよね。
なにかもっとちがうものになれるはずだった未来が決定されてしまう。
まっさらなものがあらかじめ持っている可能性を奪うこと。
そういう畏れのようなものを「新しい紙」はぐいぐい押し付けてくるような気がします。
アイロンは皺を押し出し初夏へ 広瀬ちえみ
滑るようにすいすい動くアイロンのさきっちょが、勢いあまって空中に浮くような、そんな景を見せてくれる句。
そういえばアイロンの先は三角で、船の舳先に似てますよね。
爽やかで明るくて音楽的で、初夏という季節がみごとに捉えられています。
逃げられぬ色とりどりの画鋲から 佐藤みさ子
逃げたくなるようなことってありますよね。ってゆうか、わたしの場合、そのへんにごろごろ転がってます。
日常なんてそんなもんよ、と悟れるほど人間ができてはおらず。
だけど逃げられないってことだけはちゃんとわかってる。
壁のあちこちに黄色や青やオレンジの画鋲が残っていて、
その画鋲がとめていた絵や写真やカレンダーにまつわる記憶も残っているのです。
非在であるがゆえに色濃く。
*
たびたびご紹介している、柳本々々さんが「あとがき全集。」の8月12日の記事で
「日の丸やベープマットの小さな灯」 をとりあげてくださっています。
ありがたし。
by nakahara-r
| 2015-08-19 22:42
| 川柳