液体と気体にわかれ床に就く

タイトルはねじまき4月句会の雑詠から。
句会では二人説、一人説にわかれて盛りあがりました。

そして、きょうは朝日カルチャーの川柳講座、4回目。
題は「中」。
糠床のミスユニバースやら、植木等やら、最中の皮やらで盛りあがりました。

というわけで、はつなつですね。
町は緑、空は青。
グリーンDA・KA・RAをぐびぐび飲みつつ、じんせい生きてるだけで丸儲けってつぶやいたりして。
そうこうしてさぼってるうちにいろんなものが溜まります。
洗濯物も分別前のゴミもいただき物の野菜も読めていない本も。

浮かれてばかりはいられない。

で、「おかじょうき」5月号です。

固いゴミやわらかいゴミ長いゴミ  前輝
なるほどね、そうきましたか。
ゴミ以外にもいろんなモノが当てはまりそうなんですが、
あえてゴミとしたところが川柳的でいいなと思いました。
たとえば「骨」とかだったらそれはそれできれいに決まるんですけど、
作者の思い入れが強く出すぎて読み手を阻むような気がします。
なんの思い入れもないところにふっと引き込まれる作品です。

ですますがわたしをせめるゆれそうだ  柳本々々
私事で恐縮ですが、本気で怒ると丁寧語になるんですよ、わたし。
言い合いになって「ですよね!」とか「言ってました!」とか言い始めると、夫は早々に降参してました。
当時を思い出しながら反省した次第。
丁寧語は使い方によっては強力な武器になるんですよね。
この句、すべてひらがな表記なところに酩酊しているような感覚が出てて「ゆれそうだ」が実感として伝わってきます。
ふんばってください。

弟の左わたしの右に川  守田啓子
姉にとっての弟、弟にとっての姉、異性であるがゆえ、大人になるとおのずとすこし遠くなります。
川の両岸くらいには。たぶんこの川は一級河川のような大きなものではなくて、
しかし飛び越せるほど小さくもなくて、幅4,5メートルほどの、対岸の相手の顔が見える程度の川であるような気がします。
橋を渡らないとそばに行けないけれど、声は聞こえるし、表情もわかるくらいの。
大人になった姉弟の、そんな関わり方っていいですね。

サユリストである星形五角形  奈良一艘
なんじゃ、そりゃ。と思いながら、楽しんでしまったので、わたしの負けです、はい。
「星形五角形」で想像するものは函館の五稜郭なんですけど。
ペンタゴン(アメリカ国防省)は五角形だけど星形とは見えないので。
あ、もういっこ。サユリスト(死語ジャマイカ?)から百合の花のかたち。
こういう作品って解釈じゃなくて語の繋がりのおもしろさを楽しめばいいのかとも思います。

言い含めるように遮断機降りてくる  熊谷冬鼓
ああ、これはわかります。
遮断機が降りてくる速度というか、警報との微妙なズレとか、カクカクした降り方とか、
そういったものみんな「言い含めるように」と捉えられたんでしょうね。
作品の感想に作者の人柄を持ち込むのは邪道かもしれませんが、否応なく反映されてしまうものって個性といっていいのではないかと思うのです。

いっせいに桜が咲いている ひどい  松木 秀
この「ひどい」はいい。
めちゃくちゃいい。
たった三文字の「ひどい」のなかに、ありとあらゆる感情が詰まっているような気がします。
一字空けに茫然とした空白の一瞬が再現されていて、臨場感あります。

去るのなら白い絵の具は置いていけ  月並与生
んなこと命令形で言われても、というツッコミはさておき。
色鉛筆だと白は最後まで長いまま残るんですが、絵の具はちょっと違う。
印象派の画家たちは白をたくさん使いました。
光を再現するため。
たいせつなひと(たぶん)に去られると真っ暗になりますから、光は必要。
と、解釈するのは無粋かもしれません。
この白い絵の具は作者にとってはいちばん不要なものかもしれませんし、不要なものであるほうが作品的にはおもしろいと思います。


久保田紺さんの句集『大阪のかたち』川柳カード叢書3 から
3ということは1と2があるのですね。(奥付には記載がないのでどんな既刊本があるのかは不明)

やさしいところが曲がるんやと思う
泣きながらそっと一マスあけはった
線路が曲がるくらいおこったはるねんて
『大阪のかたち』という句集名に象徴されるように、大阪弁をうまく生かした句が多い。
緩衝材のように置かれる方言には読み手のほほえみを誘うちからがあると思います。

水嵩が減ってかあさん見えてくる
回ってるからとうさんはだいじょうぶ
いもうとは案外伸びるゴムのひも
家族をモチーフにした句もまた多い。
紺さんにとっての父、母、弟、妹がどのような存在であるのかがうかがえて、「家政婦は見た」というフレーズがあたまのなかにふっと浮かんだりしたのです。

もらわれてゆくための箱組み立てる
よいにおいふたりで嘘をついたとき
箴言のような句たち。川柳は哲学にも通底するものがあるように思います。
(ちなみに110Pに「よいにおいふたりでうそをついたとき」というひらがな表記の句も収録されているのですが、これ単純ミスでしょうか?)

椎茸にしてくださいと湯に浸かる
もういやと鳴けばもういやという名前
痒いなと思ったら結んであった
これらの句群はわたしの手持ちのコードでは読み解けないのですが、好きです。
「椎茸」も「名前」も「結んであった」モノも、作者にとっては明確なきっかけがあるのだろうと信じられるのです。
それはたぶん、非現実的なことが書かれているにも関わらず、現実の世界とどこかで(あるいはなにかで)接続しているような気がするからかもしれません。

楽しい句集でした。


by nakahara-r | 2015-05-21 23:56 | 川柳


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