たすけて、リゲイン

おねがい、タフマン。

きょうもあしたも仕事なんですよ。
来週の木曜日までお休みないんですよ。

というなきごとはさておき。

柳本々々さんがブログの記事で拙句をとりあげてくださいました。

掲句は吟行のときの句で、ほんとうにきつい坂道上っていたときのなんです。
ども、ほるん、りんくる
って何度も唱えながら登りました。
ですから「〈音〉の根本力」と看破していただけてうれしかったです。

ありがとうございます、もともっちゃん。
週刊俳句の西原天気さんが、ツイッターでこんなことつぶやいてらしたので、のらせていただきました。

柳本々々さんのこと、「もともっちゃん」という呼び方定着させようとしている自分。
(@10_key) 2015, 3月 27

えと、そうじゃなくてですね。
いや、そうなんですけど。
笹井さんの代表的なこの歌についてもともっちゃんと、すこしだけおしゃべりしてみたくなったのです。
ブログ越しに。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい  笹井宏之

ここでは「えーえんとくちから」と「永遠解く力」が表記上対立しあっています。「とくちから」といいながら、語り手は〈ひらいたままの引力〉を保ちきれずに、漢字表記として閉じていってしまう、そんなベクトルをもつ歌のようにわたしは感じます。つまり「えーえんとくちから」とは、〈ひらがな表記で耐え抜くちから〉のようにも思うんですね。でも、ひとはそれでも〈意味〉を欲してしまうから。意味によって救われようとしてしまうから、〈えーえん〉よりも、いま手に入る〈永遠〉という意味が欲しいから、意味に回収されてしまう。

と、柳本さんは書かれています。
意味が欲しいから意味にに回収されてしまう、というのはほんとうにそうだと思います。

はじめてこの歌に出会ったとき、
「えーえんと口からえーえんと口から」とあたまのなかで変換してました。
ものすごく自然に。
で、続く「永遠解く力」で、えー!そっち!?
とびっくりさせられて、さすがだぜ、笹井宏之。って思ったのでした。
多かれ少なかれみんなそうなんじゃないかしらん。

だから、いまだに「えーえんと口からえーえんとくちから永遠解く力」と変換が変わってゆくように思えてしかたがないんですよ。口の中で転がしていると色が変わる変わり玉みたいに。
だれかの口からふとこぼれた「えーえん」ということばを耳がひろったとき、いっしゅん「永遠」に変換しそこねる。
柳本さんが「<ひらいたままの引力>を保ちきれずに漢字表記として閉じていってしまう」と言われていますが、それは言い方を変えると「このまま(ひらがな表記)ではえーえんという呪文にしばられてしまう」みたいな漠然とした不安のようなものでもあるように思いましたとさ。

とさ。
で終わる、きょうのひとりごとでした。(おしゃべりじゃなかったんかい)


by nakahara-r | 2015-03-28 23:24 | ただの日記


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