からすうり

たまには日記らしい日記など。

食器と食パンとペンさんが、なかはらの短歌にすてきなイラストを描いてくださってます。


いとうつくし。
いとうれし。

でも、この歌、けっして目印にしてはいけないものを目印にしている時点で間違ってます、はい。
なので「だから迷子になるんだよー」と歌人のO某氏に言われてしまうわけです。

迷子というキーワードでいつも思い出す光景があります。
わたしのいちばん古い、3歳か4歳のころの記憶の一片。
おまわりさんに抱かれてうすぐらい道をゆくと、泣きながら駆け寄ってくる祖母がいました。おまわりさんから、祖母の胸に抱き取られるわたし。
右手にからすうりを握ったまま。

それは町内会の日帰りバス旅行の帰りのできごとでした。
祖母はわたしと弟を連れて参加していました。
目を離すとどこへ行くかわからない弟に祖母はかかりっきりで、わたしはすこし淋しかったのかもしれません。
祖母はそんなわたしをすこし不憫に思ったのかもしれません。
駐車場まで歩く道すがら、生っていたからすうりを一個もいで握らせてくれました。

生まれて初めて見るからすうりでした。
ぴかぴかでつるつるで真っ赤で、そのうえくるくるした蔓までついていて、わたしは一目で魅了されました。

そんな魅力的なものが自分の手の中にあることが信じられず、うれしくて、おそれおおくて、ためすすがめつして見つめながら歩きました。

視野には前をゆく自転車屋のおばさんの茶色い靴があって、この靴についていけばいいんだと固く信じていました。

しばらくして「あれ?」と気づきました。
そこはバスの止まっている駐車場ではなくて駅だったから。
電車とバスの区別くらいはついたので、「おかしいな」と思ったのを覚えています。でも、いくら考えてもここがわからないんだけど、なぜか目印(だと信じていた)の茶色い靴に続いて電車に乗ってしまったのです。
成り行きだったとしか言いようがありません。
できることならその頃の自分に訊いてみたいものです。

しばらくして電車は発車しました。
車窓には知らない景色。車中は知らない顔ばかり。
さすがに「このままではまずい」と思ったのでしょう。切符を切りにきた車掌さんに、覚えたばかりの住所と名前を告げました。
そこからさきの記憶はとんでいます。


覚えているのは、パトカーに乗ったこと。おまわりさんの腕に抱かれたこと。
そして、握りしめたからすうりだけが、よすが、だったこと。

あとで知ったのですが、とつぜん行方不明になったわたしの捜索で池の底をさらう寸前であったらしく、それからしばらくの間、町内のおじさんやおばさんや、おじいさんやおばあさんから、外へ遊びに出るたびに「れいちゃん、どこ行くの?」と監視されつづけました。

こどものころはうっとおしくてしかたがなかった共同体ですが、
いまは、あの田舎町そのものに育ててもらったんだなあと、思います。

それから5、6年後にふたたび家出騒動をおこして、町内の消防団総出で捜索されたのは、また別のはなし。もう、ほんとにハタ迷惑なガキンチョでありました。


からすうり握ったまんま曖昧に笑ったまんまお別れをした
なかはられいこ



by nakahara-r | 2014-08-23 21:30 | ただの日記


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