夢の誕生日

あざみエージェントの朝世さんから、山内令南著『夢の誕生日』が届いた。

音立てて魂ひとつ洗いおり

文中、俳句として収録されているこの句は「川柳緑会」の大会で特選になった句で、わたしにはなじみ深い一句である。
わたしにとって彼女はずっと「斧田千晴」であり、斧田千晴といえばわたしの中ではこの句なのだ。

もう20年以上も前のこと。
ストレートの長い髪を無造作に後ろでくくり、化粧っけのない顔にメガネをかけた彼女とは「緑会」で知り合った。
無口なくせに、たまに発する言葉はけっこう辛らつで、昔から職場の潤滑油と呼ばれていたわたしは驚くことが多かった。
「あんた友達少ないでしょ」と言うと「友達の定義にもよる」と返されて、ぐうの音もでなかったことを懐かしく思い出す。
そんなかわいげのない彼女が笑うところを見た。
当時、斧田千晴と吉田三千子と3人で活動していた「エトヴァス」という、ささやかな会で吟行したときだった。
わたしのあまりの方向音痴ぶりに笑ったのだ、彼女。
それはもうめちゃくちゃかわいかった。
いつも笑ってればいいのにと思うほど。

「川柳展望」に作品評を書いてくれたことがあった。
なかはらの作品には文芸が必ず内包している「毒」が決定的に欠落している、と。
当時、「で、あるか」としか思わなかったその指摘を、
『夢の誕生日』を読んで「ああ、彼女はこういうことを言いたかったのか」とすとんと腑に落ちた。
たぶんわたしは彼女ほど切実に、あるいは誠実に生を生きてはいないのかもしれない。
泥の中で転げまわるような慟哭の果てに見える一条の光を書くことが真の文芸ならば。
わたしは過去も現在も泥の過程を経ずして光を書いているのかもしれない。

ともあれ、斧田千晴はもういない。
2010年の年末に、突然、彼女からメールがきた。
そこには自分が癌であること、余命半年であること、
いままで出版したものを送るので読んでほしいこと。
感想はいらないこと、が淡々と書かれていた。
こんなとき、どんな返事をすればいいのだろう。
途方にくれているうちに4冊の本が送られてきた。
無事に届いた、これから読むとだけ返事を書いた。
病気のことには一言も触れられなかった。
触れなかったのではない、触れられなかったのだ。
そしてそれが最後のやりとりになった。

どの本もまともに読めなかった。
いまだに読めてはいない。
わたしのなかのどこかが何かに納得していなくて、
字面を目で追っているだけで、芯の部分があたまに入ってこない。
友達というほど親しくはなかった。彼女は一歩踏み込むと一歩下がるひとだった。
仲間というほど長くはいっしょにいなかった。
けれど、表現者としてときどき意識はしていた。彼女がどう思っていたのかは知らないが。

ともあれ斧田千晴はもういないのだ。

音立てて魂ひとつ洗いおり

彼女の生き方だった。
洗わずにはいられないのだ、潔癖ゆえに。
そして音をたてずにはいられないのだ。それが彼女の言う「毒」であるから。
『夢の誕生日』を手に取ることができて、改めてあの4冊の本を読みきることができそうな気がする。
いなくなってから友達になれる関係というのがあってもいいよね。
笑えよ、斧田。
by nakahara-r | 2014-04-14 21:44 | 川柳


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