おかじょうきを読む

おかじょうき8月号が届く。
ねじまきメンバーの瀧村小奈生ちゃんの選者デビュー号なんである。
むさしさんとの共選の結果をたのしませていただきつつ、なおちゃんの選評について考える。
今回の題は「香」。なおちゃんは「匂」と「香」はちがうという選句基準を貫いている。匂いで多くあった佳句を落とすのはとても勇気がいることだ。575の中に「香」という文字が入っていなくても「香」が感じられればいただくだろう。ただ、「匂い」と書かれていれば、わたしも採らない。だってそれじゃあ、もし同じ場に「匂」という題が出た場合はどうなるの? と思うから。まあ、「香と「匂」が題として同時に出るような場はないんだろうけど。
題は句を書くきっかけに過ぎないとは思う。思うけど題の許容範囲が広がりすぎると雑詠に限りなく近づいていく。どこかで線引きは必要だと思う。

よし、ねじまきで今度いろいろやってみようと、わるだくみをしながら「川柳ステーション2013」のトークセッションを読む。あいかわらず編集の古錐さんがいい仕事をしてらっしゃいます。
ん? え? 我が名が出てきとるがね(と、とつぜん方言になる)

司会のSinくんがゆってる、わたしの「吐くなんて言わないで」というセリフは、もう十数年前、ラエティティアという、詩人、歌人、俳人、作家さんなど多数の物書きが入っていたメーリングリストのなかの発言だ。
当時からというか、川柳を始めたころから「吐く」という言葉には違和感があった。「吐く」という言葉がきたないというのが問題ではない。問題は「吐く」という言葉が、生の感情(うらみつらみや、嫉妬やどろどろしたもの)を想像させるからだ。
たとえば、あなたが川柳を知らないひとだったとしよう。「川柳ってどう書けばいいんですか?」と質問したとする。そこで「思いを吐くんです」と答えられたら、きもちわるー。と思わないだろうか?
わたしなら、ちょっとひく。
ラエティティアという文芸MLは若い書き手がたくさんいて、いままで知らなかった川柳というジャンルについて興味津々の場でもあったのだ。
だからと言ってべつにカッコつけたわけじゃない。若い(その頃はまだおとこのこだった 笑)Sinくんが川柳界の長老のように「吐く」と言ったからびっくりしたのだ。Sinくんには「川柳する」ぐらいゆってほしかった(笑)。
とういう冗談はさておき、川柳が少なくとも表現である以上、ナマな感情をどう昇華させるが問われるのではなかろうか。
残念ながらわたしは時実新子のように「泣きながら、血を吐くように吐いた句」なんていっこもない。もっとも時実新子のあの言葉を文字通り信じているひとがいるとすれば、そっちのほうがわたしには驚きだ。だって客観性の大切さについても新子は語っているではないか。
泣きながら書いたっていい作品にはけっしてならない。感情でずぶずぶの恥かしい句になるのがオチだとわたしは思う。真夜中に書いた手紙を朝の光のなかで読み返したときのように。
もし、なにかのまちがいで、わたしが泣くようなことがあったら、泣いてる自分を見て「ばっかみたい」と思いながら、しめしめと一句にしてみる。そういう川柳書きにわたしはなりたい。偉大なる先達である時実新子がそうであったように。

ちなみにわたしはきれいがよくてきたないが悪いなどとは思っていない。下品も極まれば上品だと尊敬するO氏は言うが、そのとおりだと思う。だいたいそう思っていなければ川柳なんかやっていない。だから、くんじろうさんがゆってることはニュアンスとしてはわかる。だけど「吐く」という言い方にそういったビミョーなニュアンスを感じ取れるのは川柳の世界の住人だけなんじゃないかとも思う。
よく素人が俳人に向かって「一句ひねってください」とゆったりするけど、あれ、滑稽でしょう?





かたいはなしはこれくらいにして。
きょうのまりん

ちょっとおすまし。


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by nakahara-r | 2013-08-05 21:52 | 川柳


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